第1部「無縁」(9) 苦しみ、分かち合えれば たった1人の再出発

藤田真一(仮名)が服役する中国地方の刑務所

 あと数日で4月を迎えるというのにまだ冷たさが残る朝。中国地方の刑務所の狭い面会室で藤田真一(ふじた・しんいち)=仮名=と初めて会った。すでに49歳。懲役16年の刑期を終えるまで残り4年を切った。
 「自分が両親を支えなければと分かっていた。何度かチャンスはあったが生かせなかった」。思いを整理するように、ぽつりぽつりと語る。
 ひきこもりという言葉も知らなかった真一は、「外に出られない自分だけが、変なんだ」と責め続けた。同じ苦しみや葛藤を抱く人たちがいようとは、想像すらできなかった。
 「あの頃もし、苦しみを誰かと分かち合えていれば…。少しは楽になれたのかもしれない」
 他人から見られる恐怖を完全に克服できたわけではないが、徐々に薄らいでいるように感じている。今では悩みを話せる同世代や年上の仲間もできた。だが刑務所という周りと隔てられた狭い空間と、一般の社会では環境が大きく異なる。
 最後の最後にすがった叔母には刑務所から手紙を送ったが、受け取りを拒否された。裁判で情状証人となり「社会復帰を支える」と証言してくれた叔父とも、その後一度も連絡が取れない。自宅はすでに取り壊され、両親が眠る場所も知らされていない。
 支援者の山田孝明(やまだ・たかあき)(64)は数年にわたり、年に2度ほど刑務所に通い、手紙のやりとりを続けた。天涯孤独となった真一にとって「過ちを犯した自分に手を差し伸べ、生き直す勇気を与えてくれた大切な存在」だ。
 事件から10年余りの間に、ひきこもりを巡る状況は大きく変化した。出所する頃には真一も50歳を超える。山田は今、深刻化する40代や50代の長期ひきこもりに焦点を当て、本人や家族を支える活動を始めている。
 出所後、人と交われるか。自分を雇ってくれる場所はあるか。真一の不安は尽きない。「それでも、第二の人生を生きていきたい」。自分に言い聞かせるように、繰り返した。それが、命を奪ってしまった父母への償いと、支えてくれた山田らに報いることだから…。
 「もし次に苦しくなったら、今度こそ誰かを頼りたい」。いったん社会から孤立し、たった1人で再出発しようとする人間に寄り添う寛容さが、塀の外の世界にあるだろうか。(敬称略)

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