第1部「無縁」(2) 重なったいくつもの不運 自宅だけが安全地帯

藤田真一(仮名)が育った街の一角。遠くに生駒山が見える=大阪府東大阪市で

 ものづくりの町として知られ、小さな工場が点在する大阪府東大阪市。車1台通るのがやっとの狭い路地を挟み、古い住宅が密集する。2004年に両親を殺害した罪で服役中の藤田真一(ふじた・しんいち)(49)は、この地で、高度経済成長まっただ中の1968年に生まれた。
 父克行(かつゆき)はトラックの運転手として働き、母栄子(えいこ)がパートで家計を助けた。当時の小学校は土曜日にも半日授業があり、午後になると、一人っ子の真一は、隣町に住む祖母の家に遊びに行った。
 「おとなしくていい子。友達もたくさんいたよ」。二軒長屋の隣に住んでいた山崎文子(やまざき・ふみこ)(82)は、幼い頃の真一をよく覚えている。公園を駆け回ったり、野球をしたり。クラスのみんなと同じように、習字やそろばんにも通った。そんなどこにでもいる少年の人生は、いくつかの不運が重なり、暗転する。
 中学卒業後、地元の公立高校に進学したが、遅刻を繰り返し半年で退学。鮮魚店でアルバイトを始めた。時代はちょうどバブル前夜。働き口はいくらでもあり、先に学校を辞めた友人たちが体一つで稼ぐ姿に憧れていた。
 魚のパック詰めや接客の仕事は「楽しかった」。だが口の悪い店長と「売り言葉に買い言葉」で口論になり、3カ月で辞めてしまう。
 新たに運送会社のアルバイトを見つけたものの、1週間後、自転車で出勤途中にバイクと接触し左足を骨折。さらに入院先の病院で水ぼうそうに感染した。赤い発疹が全身に広がり、かさぶた状のぶつぶつがなかなか消えない。退院後、見知らぬ小学生たちから、すれ違いざまに言われた。
 「なんや、あの顔」
 何げない一言が、思春期の心にぐさりと突き刺さった。「みんなに笑われている気がする」。それ以来、他人の視線が怖くなり、“安全地帯”である自宅から一歩も出られなくなった。
 最初の頃は幼なじみが4、5人で訪ねてくれた。「外に出た方がいいよ」。だが真一のかたくなな態度に諦めたのか、半年ほどで誰も来なくなった。父も働くように促すことがあったが、次第に何も言わなくなった。
 2階にある4畳半の自室。小さな世界で、16歳の閉ざされた生活が始まった。(文中仮名)

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