「必ず売れる」と信じて   手帳アプリで起業  自分で始める仕事(1)「U30のコンパス」

抑えきれない起業への熱情。発端は漠然とした憧れや使命感だけだった。スマートフォン用アプリを思いつき、勢いでIT企業を起こして軌道に乗せた元会社員。趣味の菓子作りとコスプレが高じ、英国風メイド喫茶を開業した女性。町の活性化にのめり込み、退職して町づくり会社を立ち上げた元公務員。こだわりを持ち続け、夢をかたちにした生き方を描く。

 

 

 

 高校3年の時、ニュースを見て衝撃を受けた。「プロ野球の球団って買えるの?」。大胆にやりたいことができる経営者に憧れた。起業を考えるきっかけだった。

 スマートフォン用の手帳アプリ運営会社「ライフベア」社長中西功一(なかにし・こういち)さん(29)。2011年の創業から1年以上無収入でも諦めなかったのは、考えついたアプリが「必ず売れる」という自信があったからだ。

 大学を卒業した09年4月、募集要項に「起業希望者歓迎」と書かれた携帯電話のゲームを手掛ける会社に就職。起業のために全てを吸収するつもりで働いた。2年勤め、仕事も一通り覚えた。後は「何を始めるか」。迷っていたとき、予定を管理するアプリに不便さを感じたことを思い出す。

 「何でも書き込める紙の手帳のようなアプリを作ろう」。11年3月に退社。同期だった増山康宏(ましやま・やすひろ)さん(32)を役員に迎え、会社を設立した。

 「無鉄砲だった」。2人は当時を振り返る。たった2年間の会社員経験で「物作りのセンスがある」と思い上がっていた。勢いで始めたものの、考えてみるとアプリの開発技術がない。技術者の友人を仲間に迎え、必要な技術を勉強した。

 最初はさいたま市の賃貸アパートがオフィス兼住宅。銀行の融資は断られ、閉店間際のスーパーで半額商品を買う日々だった。1年半、収入はゼロ。肩身の狭い思いをすることもあった。不安はなかったのか。「少しずつでも前に進んでいる実感があった。成功してやるという強い思いで、不安よりも『楽しい』が勝った」からだ。

 12年7月、ようやく手帳アプリ「ライフベア」をリリース。なんとか続けるうちに、ダウンロード数が伸び、広告収入も入るようになった。現在、社員も15人に増えた。

 運営は軌道に乗り始め、ダウンロード数は100万単位に。ただ、会社は維持する方が難しい。2人が見据える次の目標は、ライフベアをもっと普及させること。「みんなのスマホに入っている“当たり前”になる」(共同=志津光宏33歳)

 

 

▽取材を終えて
 チャラい2人。「大丈夫か?」という思いは、すぐに消えた。

 他の社員に出す細かい指示。信頼関係も見て取れた。雑誌にも取り上げられ、ダウンロードランキングでも常に上位をキープする手帳アプリ「ライフベア」。結局、真面目に働くことが一番なんだと身に染みた。

 取材中、驚くことばかりだった。ライフベアではあまりEメールを使わないという。社内の連絡はチャットがメーン。現在進めている企画別にスレッドが立ち上がり、社員同士が自由闊達な意見を言い合っていた。スピード感があった。若い会社だから、、と凝り固まった自分の価値観は見事に打ち砕かれた。

 私が就職活動していた2005年は、ベンチャー企業ブームだった。社員数の多い大手企業では叶わない。少数精鋭の中で自分を鍛え、ビジネスのノウハウを覚える。数年後には退社し、自分の会社を設立する。学生時代、そんな夢物語をたくさん聞いた。

 退社の連絡と同時に起業の報告が来る。でもいつの間にか音信不通になり、「あいつ、再就職したらしいよ」と風の噂が流れる。その繰り返しだ。

 実は増山さんは、バイトの後輩だ。「前職の同期と会社を設立する」という報告に驚かされたのを覚えている。10年ぶりに再会。あの頃と同じ様に、喫煙所でタバコを吹かしながら話したが、立派な経営者になっていた。明け方まで酒を酌み交わし、馬鹿話に花を咲かせた仲間。成長に刺激と喜びをもらった。

【一口メモ】実直、謙虚に働く大事さ

 ネットのレビューに素早く丁寧に対応し、アプリの評価は高い。ユーザーの声を真摯(しんし)に受け止め改良しようとする姿に、起業家の派手なイメージが吹き飛んだ。苦労を笑いながら話せるのは、結果を残したからだろう。会社を設立したとき、2人は「実直、謙虚に働く」と話し合って決めたという。しっかりした屋台骨がないと成功しないのだと改めて実感した。
(年齢、肩書などは取材当時)

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