炎天下で立ちくらみ、汗が滝  新米記者が熊本でボランティア 挑戦した先に見えるもの(2) 「U30のコンパス」

 

 

 今春から記者となった私の初任地は、4月に震度7の大地震が2回襲った熊本県だった。県によると被災した建物は16万棟以上で、まだあちこちに残る。取材で見えないことを知りたくて、災害ボランティアに挑んだ。

 7月初旬、同県益城町。最高気温が30度を超えた真夏日の午後、大規模半壊と認定された藤本武士(ふじもと・たけし)さん(75)宅の片付けを手伝った。県内外から集まった20~50代の男性10人と共に、落下して割れた瓦や壊れた家具類を一つ一つ、2トントラックの荷台へ載せる。荷台が満杯になれば、町内の集積場に搬出する。これを地道に繰り返した。

 この日2カ所目の現場だった。砂ぼこりで目がちかちかし、炎天下で立ちくらみもした。額や背中から汗が滝のように流れ、まとわりつくTシャツが重い。持参した水も早々に飲み切った。「準備不足か…。甘かった」

 藤本さんの2階建て住宅は4月16日の本震で、外壁が崩れた。屋根からは瓦がたくさん落ち、雨漏りしている。度重なる大雨で畳や床はふやけ、かびていた。

 日々の取材で、倒壊家屋やがれきを目の当たりにしてきた。「一気に運び出せないものか」と思っていたが、認識不足だった。木材に石材、金属類に瓦。集積場の作業員に負担をかけないよう、搬出段階で細かな分別が求められた。金具を取り外しながら家具類を分解するのも、いざとなると手間がかかる。

 同町ボランティアセンターで午前8時半に手続きを済ませてから、午後4時ごろまで作業は続いた。藤本さんの庭には、トラックの荷台に半分程度のがれきが残ったが、作業開始前と比べれば随分とすっきりした。

 「一人で片付けようと思っとったが無理だった。ありがとう」。藤本さんは笑顔で語った。だが、妻子と40年近くを過ごしたという家を取り壊すことに、ためらいはあるだろう。私たちの手伝いが再出発の一助になればいい―。そう願いつつ、真っ赤に焼けてひりひりする顔や腕をさすって帰路についた。(共同=大平和生25歳)

 

 

▽取材を終えて
 今年の熊本は連日大雨続き。ボランティアができるか直前まで不安でしたが、当日は快晴で、今年一番の暑さになりました。高校まで野球部で、今も取材で自転車に乗っているので体力にはそれなりに自信があり「1日の作業くらい余裕だろう」と思っていました。実際は、作業を始めると汗が止まらず、昼頃にはふらふらし始め、作業も取材も中途半端に。「このシーン、写真撮っといた方が良いんじゃない?」と、一緒に作業していた人にアドバイスされる始末でした。

 静岡から来た大工さんグループは「なぜ家屋が倒壊したのか。勉強しに来た」、熊本市の会社員は「職場が被災し休職中。お金は支援できないけど、時間ならある」。「故郷に貢献したい」と、地元民の参加も多い。普段は接することのない、職業や年代が様々な人たちと会えるのも、復興ボランティアの魅力でした。

【一口メモ】まだ必要、復興支援

 ボランティアから3日後、藤本さんに電話して心境を聞いた。明るい声で「気持ちが前向きになった」と言っていて、ほっとした。思い出の詰まった家が壊れ、気持ちは複雑だろう。でも、放置していては生活再建が進まないのも現実だと思う。国などの見通しでは、県内で全半壊した建物を解体、撤去するのに2年はかかる。復興に向けた支援はまだまだ必要だ。
(年齢、肩書などは取材当時)

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