体力底なし! 山岳警備隊訓練 記者参加、ひかれたカエルに 挑戦した先で見えたもの(3) 「U30のコンパス」

 

 

 両手足を使って岩壁をよじ登る。汗で手が滑り、次の一歩が出ない。「やっぱり来なきゃよかった」。大学時代、山岳部の末席を汚していた記者も、運動不足で腹が出てきた。久々のロッククライミング。途方に暮れ、ひかれたカエルのように壁にへばりついた。

 富山県立山町の雑穀谷。花こう岩の絶壁を県警山岳警備隊員が登っていく。北アルプスの険しい山々を擁する富山県では毎年100件以上の遭難が起きる。全国一の救助技術とも称される隊に密着、訓練に参加した。

 6月上旬の晴れた日。合宿形式の訓練初日だ。岩場で遭難したとの想定で、若手の隊員10人ほどが参加。濃紺の制服と日焼けした精強な顔つきから山男の気迫が伝わってくる。高瀬洋(たかせ・ひろし)隊長(60)が「若い者に任せた」と見守る中、松井貴充(まつい・たかみつ)小隊長(35)が指示を出し、きびきびと負傷者の搬送手順を確認する。

 「ロープ、出して」。声を掛け合い、要救助者に見立てたマネキンを抱えたまま、上の岩場から隊員が引き上げられ、30メートルほどの垂直の壁を登る。約70キロのマネキンの重さを全く感じさせない。底なしの体力に脱帽する。

 記者も大学時代、山でけが人を背負って搬送する隊員を何度も見掛けた。はた目にはひょうひょうと歩いていたが、それは年間50日近い山中での訓練に裏打ちされたものだと分かった。

 警備隊は他県警との人事交流にも取り組む。原祐貴(はら・ゆうき)巡査長(25)は4月、山梨県警から出向してきた。大学で山岳部に所属。救助活動に携わりたいと警察官になった。

 遭難者にとり警備隊は最後の頼みの綱だ。その責任の重さを痛感したのは2年前。救助を要請した男性を助けられなかった。救助技術を向上させたい、と富山行きを志願した。

 訓練だけでなく、遭難防止策を記したチラシも作る。「富山で学ぶことはどれも貴重。もっと力をつけ、一人でも多くの人を救いたい」。あの時の悔しさを二度と味わいたくない。熱い思いが言葉からあふれていた。(共同=沢田健太郎24歳)

 

 

▽取材を終えて
 富山県警の山岳警備隊。学生時代から山で見かけるその姿に畏敬の念を抱いていました。しかし、富山に赴任してから、警備隊50周年の取材などで接してみると、みな暖かい人ばかり。今回も「体験取材なんですが..」と話すと、快くオッケーしてくれました。

 しかし、訓練では救助の現場と同じく真剣勝負。山男たちの背中に、自分のように、遊びでしか山に登ったことのない人間は、自然と背筋が伸びてしまいました。

 山小屋に常駐する隊員は、年間の3分の2以上を山で過ごし、年越しも雪山です。正直いってつらくないのかな、と思ってしまいますが、それでも「最後に頼れるのが警備隊だから」という隊員からの答え。もちろん十分な準備をするのが当たり前ですが、自分たちが安心して山に登れるのは、こういう方達のおかげだと改めて感じる取材でした。

【一口メモ】山の事故を減らすには

 文字通り命懸けの山岳警備隊。救助や訓練で殉職者が出たことも。一方、登山者の増加や携帯電話の普及で、安易な救助要請が増えた。それを問うと、ある隊員は「最後に頼れるのが警備隊だから、どんな要請でも全力で臨む」と答えた。事故を報じる側としても、遭難を減らすにはどうすればいいか。過酷な現場に挑む、隊員たちの背中を見ながらそう思った。
(年齢、肩書などは取材当時)

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