大阪の真ん中で僧侶になる   どう生きて死ぬ、話したい  死と向き合う(3)「U30のコンパス」

 

 

 「どうやって生き、死んでいきたいでしょうか」。大阪・御堂筋沿いに立つ三津寺(みつてら)の副住職加賀俊裕(かが・しゅんゆう)さん(30)は、檀家(だんか)や寺を訪れる人と話したいと願う。生きて死ぬ直前までの幸せ、残された人の幸せ、共に考えるのが寺の役割ではないか。

 2015年に副住職となって以来、多くの死に触れた。役所への連絡、葬儀の手配…。死に際して、遺族がやるべきことはあまりに多い。葬儀場で慌ただしく準備に追われ、しのび泣く間もないこともある。

 葬儀を単なる儀式と感じる人が増えた「仏教離れ」の今、決意した。「葬儀でできるのは心を込めて読経し、ご遺族の様子に目を配ること。その前と先を大切にしたい」

 父は住職だが、子どもの頃から僧侶になるのが嫌だった。京都大工学部に入学するも、研究に打ち込めず中退。知り合いの誘いで、障害者の外出や登山を手伝い始めた。

 12年8月、雪の残る北アルプス、立山連峰。目の見えない男子小学生を乗せた車いすを押しながら登った。「さっきと違う匂いがする」。全盲の少年の言葉で周囲を探すと、近くに見たことのない花が咲いていた。

 山は目で楽しむものだと思っていたのに、全く違う感動が次々と湧き起こった。仕事して稼いで、という生き方を「勝ち組」と思っていたが、凝り固まった価値観だった。さまざまな幸せの価値観を伝えられる場所はどこだろう? 寺に戻ろう。

 1年間の修行の後、寺に戻り、もうすぐ2年。交通手段を調べるiPad(アイパッド)を片手に、檀家参りを重ねる。人と人が交わってこその寺。古くからの檀家と話し、思いは強まった。

 

 寺は道頓堀など繁華街に近いが、行き交う人々は素通り。檀家以外とも対話しようと、新たな試みも始めた。会社帰りの男女が集う「絵写経の会」、生き方を振り返るきっかけにしてもらおうと、昨年の大みそかには「大懺悔(ざんげ)祭り」と称し、ライブなどを行った。

 絵写経の会に昨夏、年配の男性が訪れた。会に行くことを勧めた妻は数カ月前に他界。男性は1枚の紙に仏の絵とお経を写すと、涙ながらに「『会に毎月通って、私の死を受け入れたら』という妻の最後のメッセージなのかも」と語った。

 死を受け入れようとする男性の姿に胸を打たれた。寺が時に人の支えになれると背中を押された気もした。「ここだから果たせる役割があるはず」。大阪の真ん中で、現代の僧侶の姿を模索し続けている。(共同=岩原奈穂28歳)

 

 

▽取材を終えて

 取材後、三津寺の副住職加賀俊裕さんが障害のある方の手伝いをしていた時の話を何度も思い出した。「どっちに障害があるのか、どっちが人間らしいのか」。加賀さんが当時疑問に思ったことを、自分に問うてみると、私も自信がなくなった。
 取材のきっかけは、告別式などを省いて火葬を行う「直葬」など、さまざまな仏教離れの話を聞く中で「若いお坊さんは死やお葬式をどう考えているの」と知りたくなったことだった。
 ところが、死について話すつもりが、生き方の話になってしまった。生き方が分からないと、死に方も分からない。「そうか」と少し納得する一方、家に戻ってあらためて考えようとすると、あまりうまくは考えられなかった。だが、仕事でイライラしている時に「どっちが人間らしいのか」という問いをふと思い出した。何となく気持ちがほっとした。寺の役割も、生き方を考えるということも、こういうことなのかもしれない。
(年齢、肩書は取材当時)

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