命つなぎ留めるために   救急隊員、最前線へ駆ける  死と向き合う(2)「U30のコンパス」

 

 火災や事故の現場にいち早く駆け付け、生死のはざまで揺れる命をつなぎ留める―。救急救命士として福岡県古賀市の粕屋北部消防本部に勤める又吉克憲(またよし・かつのり)さん(26)が、選んだ仕事だ。でも、救えた命もあれば、救えなかった命もあった。それぞれの重みをかみしめて、今日もまた最前線へ向かう。

 「事故のこと覚えていますか」。通行人が車にはねられたケースを想定した、年明けの訓練。負傷者役の隊員に呼び掛けながら、聴診器を当てたり腰や脚を触ったりして容体を確認する。救急車内では、心肺蘇生のための人工呼吸やアドレナリン投与を特訓。鋭いまなざしやきびきびした動きに、緊張感があふれた。

 配属1年目、2012年の暮れ。仕事で初めて死に直面した。介護施設で高齢の女性が心肺停止に陥り、初めて生身の人間に蘇生法を施した。頭が真っ白になりながら必死に胸骨の圧迫を繰り返したが、女性は搬送先の病院で亡くなった。「見ず知らずの人だけど、切なくて、悔しくて…」

 以来、数十人の傷病者の最期を目の当たりにした。精いっぱい手を尽くしても、助けられなかった。冷静な判断を下すため、現場ではあえて「生きるも死ぬも、その人の運命」と自分に言い聞かせて感情を抑える。

 2年目の夏に初めて人を助けた際の記憶も、鮮明だ。自宅で心肺が止まった40代の男性。電気ショックを与えたが自発呼吸が戻らぬまま、病院に引き継いだ。数週間後、実習の際に病棟を訪ねると、男性は妻と談笑していた。信じられない光景に鳥肌が立った。「家族も救えた」。自分の存在意義を認められた気がして、うれしかった。

 

 病院で働く検査技師の父と看護師の母に育てられ、命と向き合う仕事に就きたいと思った。高校3年の夏にテレビCMで知った救急救命士の職種にひかれ、卒業後、ふるさとの沖縄を離れて福岡市の専門学校へ進んだ。

 その頃、高校で仲の良かった同級生の男性が白血病で入院し、約4カ月後に息を引き取った。

 あまりに突然の死に、涙も出なかった。「やりたいことは山ほどあったと思う」。スマートフォンには、男性の連絡先を残したままにしている。「今もどこかで生きていて、また会えるような気がして」

 命をつなぎ留められなかった経験があるからこそ「次こそは救える、一人でも多くを救いたい」と、強く自分に言い聞かせている。(共同=富田ともみ25歳)

 

 

▽取材を終えて

 「現場で助けられるのは、僕らしかいない」。緊迫した医療現場の最前線で命と向き合う姿に、仕事に掛ける使命感の強さを感じた。又吉さんは高校の同級生。早すぎる同級生の死を乗り越え、救急救命士として数々の現場を踏んだ又吉さんは、芯の通った人間になっていた。彼の言うように「死はいつでも起こり得る」。だからこそ、後悔しないように今を精いっぱい生きようと心に誓った。
(年齢、肩書などは取材当時)

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