死突き詰め、命に還元を   救急から法医学の道へ 死と関わる仕事(1) 「U30のコンパス」

身近な人の死に、残された者は戸惑い悲しむ。弔いの場で少しでも力になりたいと、若者は葬祭業を学ぶ。救急の世界から転身した法医学者は、つらい思いの遺族と真摯(しんし)に向き合い解剖の承諾を得る。難病患者が望む最期を用意しようと対話を繰り返す医師もいる。間近にある死に関わりながら、今できることに力を尽くす姿を届ける。

 

 

 

 解剖室に続く地下は薬剤の甘酸っぱいにおいが漂っていた。午前8時半、千葉大法医学教育研究センターに白いひつぎが運び込まれた。

 「水死体なのでにおいがきついかも」。法医学者の本村(もとむら)あゆみ医師(38)は、今日の司法解剖は執刀しないため、手術着ではなく白衣姿だ。

 ひつぎから紙に包まれた遺体が現れた。まずコンピューター断層撮影(CT)検査。台に移動させると腕がゴムのように揺れた。爪が紫色だ。

 「何でこの骨が折れているのかな」「発見時の姿勢は」―。パソコン上にモノクロで映し出された骨格や脳の断面図を見ながら同僚や警察官に質問をぶつける。空気は和やかだが視線は真剣だ。

 佐賀県出身。病気や薬の研究がしたいと佐賀医大(現佐賀大医学部)へ進学。講義で解剖に立ち会い、思った。「人の死を突き詰めることで生きている人に還元できるんじゃないかな」。法医学への興味が膨らんだ。警察官だった祖父の部下に「はよ法医学ば頼むよ」と応援されたのも後押しになった。

 だが、最初に選んだのは救急医。「生きている人を診ずに死を語れない」。法医学への転身を見据えての選択だった。「カップラーメンのお湯を入れるのも賭け」という激務をこなした。結婚、出産を経て医師7年目のとき、夫に千葉への転勤を相談された。やりがいを感じつつも転身のきっかけがつかめない中、まさに「渡りに船」だった。

 千葉大が解剖するのは年間最大350体。仕事は変わらずハードだ。補助職員、書記、検査技師と4人一組で、多いときは週3回執刀する。内臓の状態や傷の長さ、深さを計測し口述。内容を書記がパソコンに打ち込む。終われば警察官に結果を説明する。傷が多ければ、飲まず食わずで12時間以上かかることもある。

 厳しい仕事の合間、机に飾った娘の花奈(はな)ちゃん(9)と羽音(うた)ちゃん(7)の写真を見て気持ちを入れ直す。解剖が長時間に及ぶときは、家族の協力や市のサポートで乗り切っている。かつて、ネグレクト(育児放棄)で衰弱死した男児を解剖したときは、自分の娘の姿と重なり、一日中気持ちがふさいだ。それ以来「仕事からのスイッチオフ」を心掛けている。

 お迎えの車内では解剖のことで頭がいっぱいでも、小学校の敷地に一歩入ると表情は柔らかく変わる。「今、完全に『お母さん』に戻りました」。娘と歩きながら笑顔を見せた。(共同=鶴原なつみ26歳)

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