せめて最期は望み通りに   難病患者へ寄り添う 死と関わる仕事(4) 「U30のコンパス」

 

 「シュー、シュー」。病室からは人工呼吸器の規則正しい音しか聞こえない。神経が侵され、徐々に体が動かなくなる難病筋萎縮性側索硬化症(ALS)。今の医学では治せない。「自由が利かない闘病に寄り添いたい」。神経内科医野田成哉(のだ・せいや)さん(37)は三重県鈴鹿市の国立鈴鹿病院で、緩やかに、だが確実に死に近づいてゆくこの病と向き合う。

 ALSは、筋肉を動かす神経の病気で、原因は不明だ。手や足を動かしづらくなり異変に気付く。薬で進行を遅らせたり症状を軽くしたりするのが治療の中心。意識や感覚は正常なまま、やがて体が動かなくなる。多くの場合は指先やまぶたなどわずかに動く部分が残るが、どこも動かない「完全な閉じ込め状態」になることも。平均2~5年で死に至る。

 野田さんにとって今も忘れられない情景がある。医師となって9年目、60代の女性に告知した。元看護師の女性は病名を聞き、まっすぐに野田さんを見つめたまま。頬には静かに涙が伝った。告知には1時間ほどかける。「起こりうることを隠さず伝え、これからの人生をよく考えてもらいたい」と野田さんは話す。

 患者はだんだんと体が衰える恐怖と闘う。1999年に発症し、入院生活を続ける女性患者(67)は意思を伝えるのにパソコンを使う。口元に当てたセンサーで文字を入力した。「いつまでこの生活が続くのかと考えることがある。残酷な病気だ」

 病気が進行すると人工呼吸器や胃ろうが必要になる。延命治療により寿命は延びるが、患者や家族の負担は増す。事前によく話し、じっくり考えてもらう。「その上で選んだ選択肢を全うするのが、この病気と関わる医師の最も重要な務め」と野田さん。カルテには「急変時、心臓マッサージをしない」など患者が望む最期が細かく記されている。

 医者として「治すことができない」ジレンマに常に直面している。その分、体温、脈拍に細かく目を配り、少しでも普段と違えば対応する。「おはようございます。お変わりないですか」。回診では足に触れてむくみも確かめる。「少しでも心地よくいてもらおう」との思いからだ。

 患者の死後、遺族に解剖の許可を依頼することがある。「今後の医学のために役立てて」。そう話す人が半数ほどだという。「苦しむ患者がもう出ないように」。遺族の願いを胸に刻む。(共同=真野純樹24歳)

 

 

▽取材を終えて

 ALSという病気を知ったとき、患者の気持ちを少しでも知ろうとまったく動かないでベッドに横たわってみた。腕や足の位置、皮膚のちょっとしたかゆみ、自分の体温。普段は気にも留めない、色々なことが気になって5分ともたなかった。

 患者たちと接する医師をはじめとしたスタッフたちは、決して対話を諦めずその人生に寄り添っているように見えた。患者たちがどうしたら快適に日々を過ごすことができるか、日々書き込まれるカルテや処置にはその共通した思いが、脈々と受け継がれていた「人生をどう生きるか」。私のような20代の若者こそ考えなければならないと思った取材だった。
(年齢、肩書などは取材当時)

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