【第1回】命より大切な仕事ない 家族会「悔し涙に報いる」 過労死防止法制定へ尽力

1年生約220人に授業後、駆け寄ってきた生徒たちから質問を受ける寺西笑子さん=京都市北区の洛星高校(撮影・井田公雄)

 今年は日本国憲法の施行から70年を迎える。個人の尊重や表現の自由といった基本精神を信じて活動する人、強者に脅かされている人、自らの権利に目覚めた人―。さまざまな個性や生きざまを追い、憲法の価値をもう一度考えてみたい。「憲法ルネサンス」と名付け、各地を訪ねていく。

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 古都の紅葉も終盤の昨年12月3日。京都市北区の私立洛星高校で、寺西笑子さん(67)が1年生約220人に特別な授業をした。寺西さんは全国過労死を考える家族の会の代表を務めている。
 「夫が49歳で亡くなったとき、私は47歳、長男20歳、次男14歳。皆さんの中には、似たような年齢構成の家の人がいるかもしれません。お父さんをイメージして聞いてください」と切り出し、自らの経験を語り始めた。

■10年

 1996年2月14日の朝、出勤する夫の彰さんにバレンタインデーのチョコを渡した。いつもなら笑顔を返すのに、元気のない後ろ姿を見送った。翌日の未明、飛び降り自殺を知らされた。
 彰さんは当時、和食店の店長。店員が長続きしない上、サポートもなく、いつも人手不足で疲れ果てていた。宴会のセールスまで命じられ、業績が上がらないと、経営会社の社長になじられた。亡くなる直前「眠れない、食べられない」と体調不良を訴えたが、仕事量は変わらなかった。

 

 京都市伏見区にある寺西さんの自宅2階。仏壇に置かれた彰さんの遺影には、好きだったコーヒーを毎朝供えている。
 同じ電子部品の工場で働いていたときに知り合い、結婚した。和食店の会社へ転職したのは、彰さんが料理人を志したからだ。当初から帰宅が遅く、心配すると「忙しさが腕を育ててくれる」と言っていた。
 会社と和解後、家族の会の活動として大阪労働局に過労死などで社員が労災認定された企業名公開を求めたが、開示しない。提訴すると一審は公開を命じたものの、二審で敗訴。「企業の顔色を見ているところがある」と考えている。

 家族の会の活動は「どうすれば夫が死なずに済んだのかを考えていくために始めた。労災認定や裁判で悔し涙を流す人も多く、その人たちの思いも伝え、報いたいので続けてきた」と明かす。
 過労死防止法(過労死等防止対策推進法)は、そんな寺西さんの気持ちにかなうものだった。13年10月から半年間にわたり、過労死で長男を亡くした女性らと一緒に、週末以外は東京に滞在し、国会議員を回って法の必要性を訴えた。

 「寺西さんは14年の防止法制定になくてはならない人だった。遺族による議員会館回り、ロビー活動が大きかった」と評するのは、弁護士の古川拓さん(40)。過労死弁護団全国連絡会議のメンバーで、働くことは「幸福の追求」でもあるとして、過労死対策に力を注ぐ。幸福の追求は憲法13条で国政上最大の尊重が必要とされている。

■有害
 しかし、防止法に基づく初の過労死等防止対策白書が閣議決定された昨年10月7日、電通の新入社員、高橋まつりさん=当時(24)=の過労自殺が明らかに。「仕事も人生もとてもつらい。今までありがとう」と母親にメールしていたという。
 高橋さんの母親は昨年11月9日、厚生労働省主催のシンポジウムで「社員の命を犠牲にして業績を上げる企業が優良企業なのか。娘を突然失った悲しみと絶望は失った者にしか分からない。だから同じことが繰り返される」と涙ぐんだ。

 同月29日、日本記者クラブ。母親の代理人を務めた弁護士の川人博さん(67)が会見し「かつての経済成長の過程には、長時間労働のシステムがあったかもしれないが、経済成長のない21世紀の長時間労働は有害でしかない」と指摘した。
 その有害さを寺西さんは14年5月23日の衆院厚生労働委員会で、次のように表現した。
 「若者が過酷な労働環境に追いやられ、優秀な人材を亡くすことは日本の未来をなくすこと」
 15年に労災認定された過労死96件、過労自殺93件。未来は大丈夫だろうか。(共同=竹田昌弘)

午後10時から全館を消灯した電通本社ビル(中央)=4月、東京都港区(撮影・矢島崇貴)

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