【第11回】伝える、冤罪の理不尽 穏やかな日常撮った映画で 袴田さんに続き「獄友」

金聖雄さん(左から2人目)が「石川一雄さん(右端)は今も再審請求中」と言うと、桜井昌司さん(右から3人目)は「検察がすべての証拠を開示すれば、あっさり無罪になる」、菅家利和さん(右から2人目)も「自分より先に無罪になるべきだった」と語った=埼玉県狭山市の狭山再審闘争勝利現地事務所(撮影・藤井保政)

 無期懲役の受刑者として千葉刑務所(千葉市)に入れられていた3人が2月1日、ドキュメンタリー映画「獄友(ごくとも)」の撮影で顔を合わせた。監督の金聖雄(キムソンウン)さん(53)はカメラマンの肩越しに「刑務所にいて、しんどかったことは」と尋ねる。
 「おやじとおふくろが死んだことだな」と石川一雄さん(78)。埼玉県狭山市で1963年、女子高校生が殺された「狭山事件」の犯人とされ、仮釈放まで獄中に31年7カ月いた。無実を訴え続け、再審請求中だ。

 

 ▽親の死に目会えず

 67年に茨城県利根町布川で大工の男性が殺害された「布川事件」の再審で無罪が確定した桜井昌司さん(70)も、獄につながれた29年の間に両親が亡くなり「時間が消えていくつらさがあった」としんみり。
 「足利事件」の菅家利和さん(70)も「おれもがくんときた」と続く。獄中に17年6カ月。やはり両親の死に目には会えなかった。栃木県足利市で90年に女児が殺された事件で有罪に。証拠とされたDNA鑑定の誤りが再審請求審で判明し、2009年に釈放された。翌年、無罪が確定して冤罪(えんざい)を晴らした。
 桜井さんが無罪となって両親の墓へ行った話をすると、石川さんは「(事件発生当時)両親は私と食事をしていたから、無実を知っている。80過ぎても(冤罪を訴えて)全国を回ってくれた」と振り返った。看守に教えてもらい、読み書きができるようになったことから「(服役が)無駄とは思っていない」と語る。
 3人は裸にされる刑務所内の検査や、働いた工場のことなど「獄友話」で盛り上がった。
 撮影場所は狭山市内にある「狭山再審闘争勝利現地事務所」。石川さんと結婚して21年の早智子さん(70)も来ていた。
 金さんはこの石川さん夫妻と出会い、2人の日常を3年にわたって撮った「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」を13年に公開した。「彼が殺人犯のわけがなく、この夫婦、何かええなと思ってもらえたら」
 

 ▽心許して話す

 大阪・鶴橋で生まれた在日コリアン2世の金さん。婦人服の卸などをやったものの、うまくいかなかった。在日2世の映画監督、呉徳洙(オドクス)さん(15年に死去)の撮影を手伝い、その後助監督に。
 記録映像とインタビューで構成する4時間20分の大作「戦後在日五〇年史『在日』」では、厳しい呉さんの下、撮影がいつ終わるか分からず、逃げ出すことも考えたが、貴重な経験となった。
 金さんの初の監督作品は、戦争に翻弄(ほんろう)されて故郷を離れた在日1世のおばあさん(ハンメ)のおしゃべり、歌、闘病などを収録した「花はんめ」(04年)。ハンメたちを4年間撮り続けた。特別支援学校の卒業生がミュージカルを作り上げるまでを追った「空想劇場~若竹ミュージカル物語」(12年)が第2作、その次がSAYAMAだ。
 どの作品でも、穏やかに問い掛ける金さんに、相手は言いにくいことも打ち明け、心を許していることがうかがえる。
 金さんは石川さん夫妻を通じ「袴田事件」の冤罪を訴える袴田秀子さん(84)とも知り合った。
 弟の巌さん(81)は1966年、静岡県の旧清水市で一家4人を殺害したなどとして、80年に死刑が確定した。2014年3月、ようやく再審開始の決定が出て、身柄の拘束も解かれた。

 ▽ボディーブロー

 翌4月から、金さんは姉弟の生活に密着し「夢の間の世の中」を昨年2月に公開した。タイトルは巌さんが知人に宛てた手紙にあった言葉だ。
 巌さんは獄中48年。後半は死刑執行の恐怖から精神を病んだと言われてきた。映画には、家の中をしきりに歩き回る姿や両手の指で「V」「O」「V」を作って誰かに合図している場面、「私は全能の神なんだな」と話しているところなどが収められている。
 それでも「生きてたってことが何よりですよ」と秀子さんの頰は緩む。
 「夫や弟のため権力と対峙(たいじ)する早智子さん、秀子さんがかっこいい」と金さん。「正しいことでも大声で言えば、引かれてしまう。顔面ストレートではなく、ボディーブロー。穏やかな日常を撮ることで冤罪の理不尽、権力の怖さを多くの人の心に伝えたい」という。
 東京都内で2月25日に開かれた巌さんの再審無罪を求める集会。金さんは、福岡の上映会には一審を担当した元裁判官で「無罪の心証」を告白した熊本典道さん(79)が訪れ、脳梗塞で言葉が不自由なのに「袴田」「ありがとう」とつぶやいていたと報告した。袴田事件がきっかけで裁判官を辞め、熊本さんの人生も大きく変わった。
 憲法は「人身の自由」を保障し、適正な手続きや自白強要の禁止などを定めているが、冤罪は相次ぐ。冒頭の「獄友」は今年秋に公開される。(共同=竹田昌弘)

 

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