【第12回】景観守るだけじゃない 「ポニョ」の古里、鞆の浦 空き家再生続ける元原告

「御舟宿いろは」で接客する松居秀子さん。空き家を再生した旅館には、絶え間なくランチ客が訪れていた=広島県福山市(撮影・荒木甫浩)

 瀬戸内の穏やかな海がキラキラと光る。港の先端には石造りの灯台「常夜灯」がそびえ、係留された船がギシギシと音を立てている。広島県福山市鞆町の景勝地、鞆の浦は観光地でありながら住民の生活感が息づく。
 県や市はこの港の一部を埋め立て、常夜灯の沖合に橋を架けようとしたが、住民たちは良好な景観の恩恵を受ける「景観利益」などを主張して勝訴し、景観が一変するのを食い止めた。

 

 ▽反対署名10万人超

 

 松居さんは町づくりを勉強し「全国町並み保存連盟」のゼミに通った。人口が減り続け、高齢化が進む鞆の浦では、誰も住んでいない古い建物が放置されている。工房で空き家の所有者とそこを借りたい人を仲介し、サポートする「空き家バンク」を始めた。
 「最大の問題が空き家で、当初は案内するだけだったが、約40軒の空き家を再生した」と松居さん。宮崎さんの映画を製作するスタジオジブリも空き家の再生を支援してくれた。世代交代で所有者と連絡が付かない物件や手入れが相当必要な空き家が課題という。
 幕末、坂本龍馬が乗った蒸気船が紀州藩の軍艦と衝突して沈んだ「いろは丸事件」は鞆の浦沖が現場。龍馬が賠償の交渉をした建物が空き家になっていたので、工房が改修に乗り出した。
 宮崎さんからもアドバイスを受け、この建物は08年に旅館「御舟宿(おんふなやど)いろは」として再生された。
 平日のランチタイムも絶え間なく客が訪れ、松居さんは笑顔で応対している。
 「私が考える“鞆”の豊かさは、人と人との関わり合いから」。人が住み、商い、普通の日常がある町を目指す。「今までと変わらず、できることをやっていく」。静かに、力強く話した。(共同=徳永太郎)

瀬戸内海の景勝地・鞆の浦の日の出=広島県福山市(撮影・荒木甫浩)

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