【第15回】幼い命救うこと優先 首相批判も「傍観できぬ」 赤ちゃんポスト開設10年

慈恵病院の赤ちゃんポスト前で開設までのいきさつなどを語る蓮田太二さん。敗血症のため片脚を切断し、車いすで生活している。医師の仕事はほとんどしていない。「車いすになって、いろんな人に助けられていることを実感できた」と言う。父は三島由紀夫と親交が深かった国文学者の蓮田善明=熊本市西区(撮影・後藤貞行)

 病院の電気設備などに支障はなく、お産や治療は続けられる。親が育てられない赤ちゃんを匿名で受け入れる、国内唯一の施設「こうのとりのゆりかご」も異常なし―。
 熊本県を襲った1回目の震度7から一夜明けた昨年4月15日早朝、熊本市西区の医療法人聖粒会慈恵病院で、聖粒会理事長の蓮田太二さん(81)は幹部職員から報告を受け、胸をなで下ろした。

 

 ▽先行のドイツ視察

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 それでも蓮田さんは考えを変えなかった。さまざまな事情から追い込まれる妊婦が、数多くいるのを知っていたからだ。
 ある女性は既に複数の子を持ち、夫も病気を抱え、生活は苦しかった。夫の両親から「次に妊娠したら生まれる子を殺す」と言われていたが、妊娠してしまった。

 

 別の女性は父子家庭だった。育ててくれた父に未婚での妊娠を言い出せず、ついに産気づいた。病院が呼んだ救急車も拒もうとしたという。「この女性は自分が死んでもいいというぐらいだった」と蓮田さんは振り返る。不倫の子を「畑に埋めるしかないと思った」と打ち明けた相談者もいる。
 ゆりかごとともに、全国どこからでも電話できる「SOS妊娠相談」も開設。相談は15年度が約5400件、16年度は6500件を超えた。
 「ゆりかごに預けた女性は自宅や車内で産み、命を守って連れて来た。安易な子捨てではない。最も優先すべきは命を救うこと」と蓮田さんの信念は揺るがない。この世に生まれた全ての子どもに生きる権利がある。
 SOS妊娠相談を経て出産した子が新生児のうちに「特別養子縁組」をした養父母たちは毎年、熊本県内で交流会を開いてきた。特別養子は家裁の審判により、戸籍上も養親の実子となる。
 ある年の交流会。よちよち歩きの子がホテル大広間のステージにはい上がり、ほかの子と遊んでいるうちに転倒、はらはらしながら見守った父母の元へ泣きながら戻っていった。蓮田さんは「子は親に甘え、親はかわいくてたまらない。新生児の特別養子縁組の場合、赤ちゃん返りも親の愛情を試す行動もない」。ごく幼い頃から愛情を注げば問題なく育つ。ポストに預けられた子も含めて、この仕組みがいいと考えている。

 ▽神戸に「面談型」

 蓮田さんは赤ちゃんポストを「過渡期の姿」と説明する。「各国に広がったが、フランスにポストはない。病院での匿名出産が認められているから」。安全に産んで養子縁組が可能になれば、ゆりかごはいらない。少子化対策を打ち出す日本政府が、苦しむ母子に寄り添うよう願っている。
 「熊本の精神を受け継ぎたい」。神戸市北区のマナ助産院院長永原郁子さん(59)は、常駐スタッフが24時間対応する「面談型」のゆりかごを早ければ9月にも始める。
 3月3日のヒアリングでは、厚生労働省の職員らがマンパワーやセキュリティー、経済力を尋ねた。賛否は示されなかったが、財政面を支援するNPO法人の関係者は、行政の後ろ向きな様子を感じ取ったという。
 再び慈恵病院。実は地震の際、食料の備蓄が少なかった。テレビなどで支援を呼び掛けると、800件超の物資が寄せられた。道路が寸断された中、届けてくれた人も。この病院を支える多くの人の存在がある。
 食料は近くの避難所にも配り、計画していた子ども食堂を野外バーベキューに切り替え、約480人に振る舞った。(共同=斉藤友彦)

赤ちゃんポストの内部。入り口には「お父さんへ、お母さんへ」と書かれた手紙が置かれている。この手紙を持っていることが親の証明となる=熊本市西区(撮影・後藤貞行)

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