【第20回】丸腰日本、平和築く 比紛争地「バンサモロ」 JICA職員が尽力

JICAの支援を受けたテラピア養殖場がある村で、住民に養殖の進み具合を尋ねる落合直之さん(左)。住民は「別の場所で稚魚を買って育てていたのが、今では産卵から始められるようになった」と笑顔で答えた=3月、フィリピン南部ミンダナオ島のコタバト市郊外(撮影・村山幸親、共同)

 フィリピンのミンダナオ島西部や、その南西の島は「バンサモロ」と呼ばれる。「バンサ」は地域という意味で「モロ」はイスラム教徒を指す。住民たちは人口の8割超がカトリックの国からの分離独立を求め、1970年ごろから政府と内戦を続け、2014年に包括和平が実現した。
 今年3月初め、バンサモロの中心コタバト市の郊外。政府側の民兵が小銃を持って警戒する中、かつて政府と戦ったモロ・イスラム解放戦線(MILF)の兵士たちがトマトやナスが実る畑で、農業講習を受けていた。
 

 ▽和平へODA貢献

 「こうして間引きすれば、実が大きく育つ」。約30人の兵士はフィリピン人講師の話に耳を傾ける。講習を実施しているのは日本の国際協力機構(JICA)で、憲法前文に掲げる国際協調主義などに基づく政府開発援助(ODA)の一つだ。
 ミンダナオでのODAは02年度から始まった。MILFとフィリピン政府が停戦に合意し、イスラム諸国の軍人を中心に組織された国際監視団(IMT)によって治安が改善。日本は06年、MILFとフィリピン政府の要請で、JICAの職員1人をIMTの社会経済開発部門へ派遣する。
 和平成立前の紛争地へ文民を送るのは、日本にとって初の試みだった。
 ヨルダンで勤務していたJICA職員の落合直之さん(53)は、IMTへ行きたいと手を挙げた。「大学時代に探検部で集団生活をやっていたから、多国籍の軍人と共同生活しながら各地を巡るのは、自分に合った任務だと思った」
 しかし本部(東京)でフィリピンを担当する課長へ異動し、IMTには別の職員が派遣された。
 08年に内戦が再燃。IMTの各国要員が撤収し「危険だ。日本人も撤退しないと」。落合さんは進言したが、当時理事長の緒方貞子さん(89)は「周りが引いたときこそ前に出よう」とIMTへ職員1人を増派する。
 和平実現後に開発支援に乗り出すのではなく、開発を進めることが和平に貢献すると、緒方さんは考えていたという。
 

 ▽成田で極秘会談

MILFの拠点キャンプ・ダラパナンに入る検問所に立つ兵士たち。キャンプ内には司令部のほか、いくつもの集落がある=3月、フィリピン南部ミンダナオ島のコタバト市郊外(撮影・村山幸親、共同)

 落合さんは10年12月、念願のIMTの要員となり、戦闘で夫を亡くした女性のための職業訓練や学校建設などの民生支援に当たった。
 11年8月4日。日本政府の仲介でひそかに来日したフィリピンのアキノ大統領(当時)とMILFのムラド・エブラヒム議長が千葉県成田市のホテルで、初めて会談した。約2時間に及んだ会談は、14年の包括和平への大きなステップとなった。
 包括和平で合意された「16年にバンサモロ自治政府設立」は実現していないが、エブラヒム議長は「ドゥテルテ大統領の手腕に期待している。今年の国会で基本法をまとめ、19年に移行機関を設立し、22年には自治政府をつくりたい」と考えている。コタバト市郊外の拠点キャンプ・ダラパナンで今年3月、共同通信記者に明かした。
 議長は「継続して支援してくれた日本の皆さんには、本当に感謝している」とお礼の言葉を忘れなかった。
 落合さんは、JICAコタバト事務所総括となった。MILFのメンバーは「会ってみると、思慮深く教養がある。正義を実現するため、戦わざるを得なかった」。幕末・明治維新の小説が好きな落合さんには「彼らの姿は、新しい国づくりを目指した明治維新の志士と重なった」という。
 

 ▽異教徒学ぶ小学校

 コタバト市から車で約1時間の村では、池を網で区切り、魚を養殖している。住民は大きく育った淡水魚テラピアを手に「JICAの技術支援でビジネスとして成り立ち始めた。幸せだ」と笑う。「内戦で荒廃し、貧困率はフィリピンの平均の倍以上。貧困からの脱出は平和を実感できる大きな要素だ」と落合さん。
 イスラム教徒とカトリック教徒の子どもたちが机を並べるキブレグ小学校は、JICAがコタバト市郊外に建てた。日本とフィリピン、MILFの旗が並んだプレートが掲げられている。カトリック教徒のネストー・デ・ベラ校長は「ここはイスラムの土地だが、今はみんな交じって勉強している。この学校はモデルケースだ」と胸を張る。
 バンサモロへのODAは16年までの10年間で240億円超に上る。「日本がこの地にとどまり、見守り支え続けたことで和解が進んだ」と落合さんは強調する。
 「紛争地のバンサモロには、憲法9条があるから自衛隊員は派遣できず、丸腰のJICA職員を送った。彼らは平和を築くことが豊かになることだと教えた」
 バンサモロの状況を現地のNGOから聞いたという、元自衛隊員の泥憲和さん(今年5月3日、63歳で死去)は15年夏、安全保障関連法に反対する各地の集会でこんな話をしていた。(共同=角南圭祐)

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