5月25日、川崎市中原区の会議室。市立井田小の保護者らが車椅子に座る大野剛資さん(36)を囲んで、その手元をじっと見つめていた。
細い右手の人さし指が、隣に立つ女性の手のひらにゆっくりと縦線を引く。「今のは、たかしさんの『し』ですね」。弾んだ声で問いかける保護者の女性に、大野さんは優しい笑みを返した。
大野さんは早産の影響で脳性まひになり、体は思うように動かず発話もできない。それでも指で介助者の手のひらに文字を書く「指筆談」を使えば意思疎通ができることを、学校や福祉施設での講演で伝えている。
▽配慮
最初の分岐点は、小学校入学前の健康診断だ。今でこそ本人や家族の意向が尊重されるようになったが、大野さんの頃は重い障害が見つかれば、市町村の就学指導委員会(または教育支援委員会)が原則、支援学校と決めていた。
「中学まで普通学校に行けたのは健診を拒み続けた母のおかげ」と振り返る大野さんに、井田小前校長の中西伸夫さん(60)が相づちを打った。
中西さんは今年3月に定年退職するまで、教員生活の約半分を養護学校や支援学校で過ごした。就学指導委員会の委員を務めた経験から「途中で変えることもできるが、実際に支援学校から普通学校に転校する事例はごくわずかだ」と明かす。
大野さんは「支援学校を希望する人もいる。大事なのは選択の自由」と前置きした上で、近所の友だちと同じ教室で一緒に学んだ時間を「僕の財産。あの経験があったから、僕は今も地域の人たちとつながっていられる」と強調した。
海外の事例を引き合いにインクルーシブ教育の推進を求める人もいる。
東京都町田市の太田純平さん(26)も脳性まひのため、自力で体を支えられず言葉も話せない。プラスチック製の五十音表のボードを指さすことが意思表示の手段だ。
養護学校で過ごした中学、高校時代を「まともな勉強ができなかった」と語る。希望していた大学進学は夢と消え、悔しさだけが残った。
▽憧れの国
転機は6年前のある日。仲間内の勉強会で「なぜ障害者だけの学校があるのか」と怒りをぶつけると、同じ障害を抱える年配の男性が諭すように教えてくれた。
「イタリアにそんな制度はないよ。なぜなのか知りたければ自分で調べなさい」
驚きと興奮でいてもたってもいられず、すぐに母弘恵さん(59)に頼んでインターネットで情報を探し求めた。数年がかりでたどり着いたのはイタリアの教育制度をまとめた長い文章。体はベッドに横たえたまま、少しずつ読み聞かせてくれる弘恵さんの声にじっと耳を傾けた。
保育園から大学まで全ての段階でインクルーシブ教育が保障されていること、障害のある子には個別の教育計画が作られ、専門資格を持った教員が付くこと―。知れば知るほど憧れが募った。
「イタリアでできることが、日本ではなぜできないのか」。障害者や支援者が集う場で繰り返し訴え、問題意識を持つよう呼び掛けてきた。今は実際に現地へ行き、自分の目で確かめることを目標にしている。
「誰だって教育を受ける権利がある。当たり前の勉強をさせてくれと言いたいんです」。「カツ、カツ」とボードの五十音表をたたく、その音に強い思いがのぞいた。(共同=山本大樹)