養父が描いた被爆後の長崎 絵など20点 原爆資料館へ寄託 

 大村市玖島2丁目の主婦、中村和子さん(70)は、1970年に65歳で無くなった養父の桑原威さんが描いた被爆直後の長崎市内の絵など20点を同市平野町の長崎原爆資料館に寄託した。同館の奥野正太郎学芸員(32)は「当時の長崎を捉えた絵はほとんどない。被爆した市民がどのような目線でまちを見たのかを知る手掛かり」と分析。同館が保存管理し、同じ場所の写真と並べ展示する予定だ。

 桑原さんは長崎市出身で長崎医科大付属薬学専門部(現長崎大薬学部)卒。40歳の時に同市上町で営む薬局で被爆。けがはなく、被爆者の救護や火葬に当たった。スケッチが趣味で外出時に筆と画帳を持ち歩いていたという。

 遺品として残るのは手帳と画帳の各1冊。被爆後も原形を残した西中町天主堂や、穴弘法山の下にある長崎医科大付属病院など、原爆から3年ほどの間に描かれたとみられる。中村さんは桑原さんの絵や短歌を額縁に入れ自宅に保存していた。

 今年9月、スケッチした場所や絵の中の建物を特定しようと、長崎平和推進協会写真資料調査部会に鑑定を依頼したのが寄託のきっかけ。調査した深堀好敏部会長(88)から「貴重なものだからきちんと保管した方がいい」と勧められたという。

 今月27日に中村さんが夫と娘と一緒に同館を訪れて絵などを寄託。中村さんは「作品を通じて長崎の建物や風情が変化する様子を伝えたかったのだと思う。多くの市民の方が見て、少しでも原爆や昔の長崎に関心を持ってもらえれば」と願いを込めた。

作品を寄託した中村さん(中央)とその家族。右端が深堀部会長、右奥は奥野学芸員=長崎原爆資料館

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