『L’Équipe』は29日、トリノの監督を務めているシニシャ・ミハイロヴィッチ氏のインタビューを掲載した。
ディフェンダーながらフリーキックのスペシャリストとしても知られたミハイロヴィッチ氏。
サンプドリア戦ではセットプレーだけでハットトリックを決めるという伝説的なプレーも実現させた。
彼は「自分にとってはそれこそがサッカーだった」と話し、フリーキックについて以下のように語ったという。
シニシャ・ミハイロヴィッチ 「私は子供の頃からフリーキックを蹴ってきた。父親がきっかけを与えてくれたんだ。
家族の家には鉄の門があってね。毎朝7時に起きて、一日中ボールを蹴っていた。門に当たって大きな音がする。『決めた!』と叫ぶ。
壁に当たっても、何度も何度も蹴っていた。毎日ね。2~3ヶ月経って、父は鉄の門を変えなければならなかった。完全に壊れたからね。
隣人も怒っていたよ。全然寝られないじゃねえか!とね」
シニシャ・ミハイロヴィッチ 「まあ、私にとってのサッカーはフリーキックのためにあったんだ。
サッカーの全てが好きというわけではなかった。しかし、フリーキックは素晴らしかったよ。
それは歯磨きのよう。トレーニングセッションを減らして、フリーキックの練習をしていたよ。
そう、私にとってはフリーキックこそがサッカーだった。それがなければ、プレーしていなかっただろうね。
そして今、もはや私はサッカーをプレーできない。フリーキックを蹴ることも、ゴールを決めることもない。
もう、私の一部は死んでしまったのだ。
私はあらゆる種類のシュートを使ってきた。壁を破るために、ボールの下側を愛撫するように…。
壁の近くに向かい、インサイドで叩く。ボールはスワーブし、鋭く動く。ゴールの中に吸い込まれる。美しい。
まるで、射精のような感覚だ」
シニシャ・ミハイロヴィッチ 「ベオグラード大学の教授が練習を見に来た。彼らはボールの動きを理解できなかったようだ。高く上がり、思わぬ落ち方をして、左に、右に曲がる。
彼らが計測できたのは唯一スピードだけ。一番早いもので165kmだった。他は何も理解できなかったようだね!」
「サンプドリア戦で、3回のフリーキックを蹴り、3つのゴールを奪った。
ゴールキーパーはファブリツィオ・フェロンだったね。サンプドリアではともにプレーした事がある友人だ。
試合前、私は彼に言っていた。『おいフェロ、フリーキックを予想しようとするなよ。蹴る前に動くな。オレはキミを見ているからな』と。
彼は言った。『心配するな、動かないさ』と。
ただ、フリーキックでゴールを決めるのは普通のことだ。彼が動かないことは分かっていたから、壁を超えることに集中した。
様々なスタイルで蹴ることが出来た。いつも同じ立ち上がりをし、最後のステップでゴールキーパーをちらっと見る。
彼がもし動かなかったら、壁の上を超えて落とす。小さなステップを踏んだら、壁の外に回す。
最後のステップを早くするか、遅くするか。遅くした場合、壁の上を超す。スピードアップしたら、壁の外だ。私にとっては複雑なことではない。
やったことがないものは、アンドレア・ピルロの『マレデッタ(呪われたフリーキック)』だけだ。
あのキックは理解できなかった。ありゃ、ボールはどうなってんだ?かなり高い位置まで上昇し、そして落ちていく。特殊だ。試したこともない。引退してから出てきたものだったしね。
あれを学びたいね。そして、どうやってやるのか説明して欲しいよ」