高々と掲げられた風呂おけは、地域に寄り添って成長してきたクラブの誇りを象徴していた。
2017年のサッカーJ1は川崎の初優勝で幕を閉じた。12月2日、ホームでの最終節で大宮に5―0で快勝。磐田と引き分けた鹿島を得失点差でかわし、逆転でクラブ創立から21で初のタイトルを獲得した。
優勝クラブに与えられるシャーレは同時間帯に磐田―鹿島が行われた静岡・ヤマハスタジアムに持ち込まれ、川崎市等々力陸上競技場での表彰式には間に合わない。そこで選手たちが表彰台でシャーレのように掲げたのが風呂おけだった。
川崎はクラブ名の「フロンターレ」をもじり、地元の銭湯利用促進のため川崎浴場組合連合会と共同して数々の企画を打ち出してきた。
コラボ風呂おけもその一環で、クラブは優勝を見越してシャーレを模した特製デザインを用意していた。
悲願の優勝で涙した後に場内は温かな笑いに包まれ、川崎一筋15年の中村憲剛も「フロンターレらしいよ」と吹き出す。この風呂おけ、優勝記念グッズとして販売されるから商魂たくましい。
遊び心を持って地域に貢献し、活性化に寄与する―。クラブのアイデンティティーだ。
J2に降格した01にホーム観客動員が半減し、経営安定化のために地域密着に大きくかじを切った。
クラブ名とエンブレムから親会社の名前を外して再出発した市民クラブが「プロスポーツが根付かない」と言われた川崎になくてはならない存在になる。そのために選手はさまざまな企画に参加してきた。
商店街のあいさつ回りや、かぶり物をしてのスーパーでのバナナ販促活動は今や恒例。選手はクラブや、サッカーにちなんだ問題が並んだ小学生向けの算数ドリルに登場し、学校に出向いて実践学習にも協力した。
市の読書推進キャンペーンでは絵本の読み聞かせも行った。練習場では毎日ファンとふれあい、ホーム戦後は試合結果にかかわらずサインに応じたり、カードを配ったりする。
こういった活動の積み重ねで、昨年のホーム戦集客率は80.9%でJ1トップに立った。
Jリーグの観戦者調査で「ホームタウンで大きな貢献をしている」の項目では8年連続1位。地域密着をうたうJリーグの優等生として、本来はチームの成績とは関係なくたたえられるべき成果だ。
だが「『選手に負担をかけすぎる』との声がないわけではなかった」と藁科義弘社長は言う。「だから勝てない」との批判は、選手の耳にも届いていた。
中村は03、当時J2だった川崎に加入した。年代別の代表経験歴もない無名の大卒MFは、地域密着路線ではい上がろうしたクラブとともに歩み、大きくなってきた。
「このクラブが歩む道を肯定したかった。それには勝つしかなかった。いくら地域貢献が評価されても、サッカーにつながっていないと駄目。ピッチの中も外も、どっちも1番にならないと。こういうチームが優勝することに意味がある」と声を大にする。
クラブには「強いから愛される訳ではない。愛されるから強くなる」との哲学がある。それを体現できたとの自負が、風呂おけには込められている。
地域密着はJリーグにとって開幕当初からの理念だが、そのあり方は千差万別だ。川崎市には昼間は東京で仕事をする「川崎都民」も多い。
公害などの古いイメージもあり、地元への帰属意識が薄い土地柄だった。そんな地元を変えようと奮闘しているクラブに、Jリーグの村井満チェアマンはイングランドの人気クラブと似た歩みを見ている。
「産業革命が起こり、リバプールからマンチェスターまで蒸気機関車で綿花と綿製品を運んだ。イギリス中から集まってきた労働者の地域に対するロイヤルティーを高めるために、サッカークラブが役に立った」
人口減少傾向が顕著な日本で、川崎市は住民を増やしている。特に等々力競技場がある武蔵小杉駅周辺はそうだ。
「別の地域から来た見ず知らずの人がマンション暮らしをしているけれど、週末にはみんなが青いマフラーをもって等々力に行く。これって街づくりの原形ですよ。勤務地は東京にある。でも週末にはフロンターレがある。素晴らしいじゃないですか」とは村井チェアマン。筆者も佐賀県出身の川崎市民。この論評には大いにうなずかされる。
出嶋 剛(でじま・たけし)スポーツ紙で勤務し、2011年に共同通信入社。相撲、サッカーを担当。サッカーでは日本代表や横浜M、川崎、甲府などを取材。佐賀県出身。