【ラン鉄38】室蘭、けむりと湯気_無論、ガブリと夕げ [鉄道チャンネルニュース転載 最終回]

 製鉄所の炎か、スナックの灯りか。
 やきとりのけむりか、工場の蒸気か。
 北海道有数の工業都市、室蘭――。
 明治期から石炭積出港として栄えたこの街で、名物「やきとり」を手にビールに打たれていたら、街の光やけむが、どっちのものか、わからなくなってきた。
 たしかここは浜町小路。
 そこから路地へと入ると、酔ってるのか老眼か、ぼやっと映る看板に目を凝らすと、「歌謡ライセンスNo.1」や「SNACKビアント」、「ランランタウン」といった昭和の文字が見えてくる。
「むかしは昼も夜もわんわんにぎわってたけど、いまはもうこんな感じね」
 支笏湖、登別、室蘭とめぐってきて、それぞれの地で、ふつふつと沸き立つチカラをもらった、気がする。

樽前山のけむりがやきとりを導く

 支笏湖――。ラン鉄中年の濁った心身とは対照的な、ずば抜けたの透明度を誇る湖で深呼吸。
 湖面に映る自分の不細工フェイスを再確認すれば、森に住む鳥たちが、「キョキョッ!」と笑う。
 支笏のカルデラをつくる、恵庭岳や風不死岳仰いで、沈黙のマグマからチカラをもらう。樽前山のてっぺんからは、ふつふつと湯気が立ちのぼる。
 ひと晩めの夜、やきとりのけむりに圧倒されて、吉田屋に入る。ここ、室蘭では、焼き鳥じゃなくて、やきとり。

「豚なの。そんで玉葱とね、からし」

 豚肉と玉葱の串を、マスタードで喰らう、やきとり。日中戦争の時代、軍用の革を補うために、養豚が奨励され、この街に、豚肉が定着したとか。
 けむりの向こうにぼやっと見えるおばちゃんと、途切れ途切れに話していたら、この街が、石炭や鉄でドカーンと成長した時代が見えてきた。
 1890年代初頭、岩見沢と室蘭(現・輪西)の間に線路が敷かれ、夕張鉄道が全通すると、この天然の良港が特別輸出港に指定され、外国向け石炭輸出港として発展。
「太平洋の玄関口」となった室蘭は、戦争に突入すると米軍の標的となり空襲に遭う。終戦ののち軍需工場閉鎖や港内封鎖に追い込まれた。
 いま、室蘭線には石炭列車や蒸機のけむりはないけど、日本製鋼所、新日鉄住金といった鉄工場をすり抜けるように、小さなキハがシレッと走る。
「造船でしょ、鉄鋼でしょ、そんでやきとりでしょ、もくもくの街よ」

硫黄の湯気がおでんと若鶏を呼ぶ

 もうひと仕事、登別――。倶多楽湖の西にひっそりたたずむ登別温泉の街は、硫黄の匂いに包まれていた。
 名湯でひとっぷろ、といきたいのに、仕事仕事ってわけで、その湯気だけを浴びて、ふたたび国道36号(室蘭街道)へと出て、ひたすら海岸を愛でる。
 でもこの湯気が、「やきとりの次」を導いてくれた。
「若鶏のから揚げ やきとり おでん」という、ダチョウ倶楽部なみの絶妙トリオを看板に並べた、「味の大鳳」にグググッと吸い込まれた。
 もやしをお揚げで包んだおでんがドン、若鶏のウイングがカラッと揚がり、アッツアツとキン冷えビールの、反復横とび……。

感謝、登別。感激、室蘭。

 地元のおばちゃん3人組みがカウンターで、こちらと同じから揚げを、ガブリ。
 街はにぎわいを失ったけど、みな元気。笑い声、中央町を跳ぶ。
 支笏湖、登別、室蘭の壮大な熱エネルギーが、おでんの湯気、やきとりのけむりに化けて、目の前をゆらゆら。
 白鳥大橋のキラキラ、本輪西駅の貨物列車の残像、旧室蘭駅舎の風格…。
 一軒で、終わるはずない、帰れない

この連載は、社会福祉法人 鉄道身障者福祉協会発行の月刊誌「リハビリテーション」に年10回連載されている「ラン鉄★ガジンのチカラ旅」からの転載です。今回のコラムは、同誌に2015年12月号に掲載された第38回の内容です。

現在も本誌での連載は続いています。鉄道チャンネルニュースへの転載は、2015年12月号までの契約です。

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