「サッカーコラム」家庭的温かさの中で生まれた初タイトル J1川崎とホーム「等々力」が紡ぐ幸せな関係

サッカーJ1で初優勝し、サポーターと喜ぶ川崎イレブン=2日、川崎市等々力陸上競技場

 朝の来ない夜はない―。

 若いころ、徹夜仕事が続いてときにいつも自分に言い聞かせていた言葉だ。どんなに辛いことが続いても、その状況から解放される瞬間が必ず訪れる。そんな言葉通りのことが先週末のJ1最終節で起きた。川崎にようやく“朝”が来たのだ。長年の呪縛から解き放たれての初タイトル。「シルバーコレクター」の汚名を返上してみせた。

 ピッチ上で繰り広げられる優勝報告が、いかにも地域に深く密着したこのクラブらしい。J1リーグの優勝シャーレは、前節終了時で首位にいた鹿島が最終節を戦う磐田にあった。だから、表彰式で手渡されたのは何とも味気ないことにシャーレの写真が印刷された紙のパネルだった。

 「できればシャーレを掲げたかったけど…」。残念そうにそう語ったキャプテンの小林悠が「紙(のパネル)でグダグダになった」という優勝セレモニー。しかし、観衆を楽しませることにかけては、Jリーグでも随一と評価されるクラブが見せた演出はこれで終わらなかった。

 選手たちの最前列に立ったのは、37歳の中村憲剛。クラブのバンディエラだ。その手には、何と木製の風呂おけ。いくら、チームが川崎浴場組合連合会と「フロ」が共通することに絡めて「いっしょに おフロんた~れ」というキャンペーンをコラボしているとは言っても、これはどうだろう。いぶかしく感じた次の瞬間、両手で高々と掲げた風呂おけの底には優勝シャーレが描かれていた。何とも粋ではないか。

 川崎にとっての2017年。その始まりは、またも失望だった。元日の天皇杯決勝で鹿島に延長の末、1―2で敗戦。タイトルが掛かった試合で勝てないという歴史を繰り返すことになった。

 この試合まで率いた風間八宏前監督の後を受けて、就任した鬼木達監督のもとでチームは確実に手堅さを増した。「それまで良くなかった所をオニさん(鬼木監督)がつぶして、選手たちがついて行った」と中村がそう話すように、昨季までの攻撃一辺倒から攻守にバランスのとれたチームにマイナーチェンジ。秋口にはリーグ、天皇杯、YBCルヴァン・カップ、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の四大タイトルすべてを射程にとらえる状況にあった。

 ところが、チャンスはことごとく去っていく。まず、浦和と対したACL準々決勝。第1戦を3―1で制し盤石と思われた川崎だったが、アウェーでの第2戦を1―4と落とし、まさかの大逆転負けを喫した。続く天皇杯では、準々決勝で柏に0―1の敗戦。そして、決勝まで進んだルヴァン杯でもC大阪に0-2と敗れてしまった。これで、主要タイトルでは8度目(J1で3度、ルヴァン杯=旧ヤマザキナビスコ・カップ=で4度、天皇杯全日本選手権で1度)の「銀メダル」。ここまでくれば、ある意味で神々しささえ感じられるレベルの徹底ぶりだった。

 一時はタイトル総なめの可能性もあったのに、気づいてみれば残されたのはリーグのみ。そして、川崎にとってはこのタイトルが一番難しい状況にあった。なぜなら、9月23日の第27節を終えた時点で鹿島との勝ち点差は8。手堅さが際立つ首位チームとの差を、残り6試合で詰めるのは困難な作業と思えた。

 12月2日の最終節。鹿島を勝ち点2差で追う川崎にできることは勝つことだけ。得失点差では大きく上回っているため、鹿島が引き分けるか負けることを願うだけだった。

 精神的プレッシャーを伴う、逆転を懸けた大宮戦。だが、川崎はすぐにその重圧から解放される。開始47秒、阿部浩之が「自信があった」という強烈な左足のミドルシュートを突き刺したからだ。前節の浦和戦から中2日。川崎の選手には疲労が残るはずだ。しかし、タイトルへの意欲が体を動かした。中でも、古巣を相手にした家長昭博がすごみを見せる。前半終了間際と後半15分に完璧なお膳立て。小林の2ゴールを導き出す。

 それにしても、川崎の本拠である等々力競技場は緊迫感の中にあってもどこか家庭的なぬくもりを感じさせる。例えば、記者席前の観客席。通路を隔てる仕切りの柵ではいろいろな物が風に揺れている。年配の女性たちの多くが、S字フックを持参し鉄パイプに荷物をぶら下げている。自分の部屋のように過ごしている人がとても多いのだ。

 その意味では小林も同じ。単独得点王を決めた今季23ゴール目、プロ人生初のハットトリックとなるPKでの3点目は“家庭的な雰囲気”から生まれた。蹴るコースは事前に決まっていた。「家を出てくる前に、息子にどこに蹴ったらいいかと聞いたら『真ん中』といったから」。だから、小林には迷いと緊張が一切なかったという。

 5―0の大勝。そして、何と言っても長年待ち望んだJ1制覇。この日の「等々力劇場」は、ハッピーエンドに終わった。川崎に携わる全ての人々が初めて獲得したタイトルの喜びから、これ以上なく幸せな顔をしている。

 その帰り道、優勝シャーレの代わりではないだろうが、とても美しく丸い月が夜空に浮かんでいた。スーパームーンとばかり思っていたら、今年一番の満月はその翌日。またも“2番目”だ。そこも川崎らしくて、笑えた。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で6大会連続。

© 一般社団法人共同通信社