幻の相武鉄道の資料発見 相模原の旧家から路線図や会社看板

 大正時代後期から昭和初期にかけて、東京・渋谷から現在の相模原市中央区上溝を経て愛川町に向けて計画されたものの実現しなかった相武電気鉄道の詳しい図面数十枚や会社の看板がこのほど、同市上溝の旧家から見つかった。国立公文書館にも納められておらず貴重な資料とみられる。上溝地区では現在、小田急多摩線の延伸要望を続けており、先人の夢を示す図面の発見に「現在の延伸への起爆剤になる」と歓迎している。

 資料は上溝地区の社会福祉法人理事長佐藤和夫さん(57)の実家の蔵から見つかった。最も大きな図面は長さ約3・5メートル、幅54センチで、現在のJR横浜線淵野辺駅(同市中央区)から上溝地区を通り相模川沿いの水郷田名(同)までの路線が詳細に描かれている。説明書きを佐藤さんが読み解いたところ、2376分の1の縮尺だった。

 もっと大まかな縮尺で描かれた溝口(川崎市高津区)〜淵野辺間の図面や、矢部新田(相模原市中央区)、淵野辺、相模四谷(同)などと書かれた停車場の設計図、車両の設計図などもあった。渋谷〜溝口間の収支見通しもあり、建設費の概算が350万円、1年間で120万人の乗降客を見込んでいたとみられる。書類以外に事務所に懸けられていたとみられる「相武電気鉄道株式会社」と書かれた看板も見つかった。

 佐藤さんの祖父昌寿さんが同鉄道の地元側役員の一人だったことから、書類を保管していたらしい。昌寿さんは計画破綻後、私財を充てて未払い金の精算を続けたという。蔵の中にあった書類を最近になって詳しく調べたところ、同鉄道の図面とわかった。「書類は段ボール箱二つ分もあり、まだ全部は見ていない。おそらく数十枚あるだろう。相模原市立博物館に寄託することも考えている」と佐藤さん。

 同鉄道に詳しく「幻の相武電車と南津(なんしん)電車」の著書もある地域出版社経営佐藤誠さん(78)=横浜市鶴見区=は「これまで国立公文書館などにも保管されていなかった書類。相武電気鉄道から役所に申請した書類は関東大震災で焼失してしまった。見つかったのは再度申請した際の写しで、それが民間で保管されていた。非常に貴重な資料」と話す。

 上溝地区住民でつくる小田急多摩線延伸・上溝駅開設推進協議会(小林充明会長)の根岸利昌事務局長は「先人がどのように鉄道を敷こうとしたかを示す図面で、現在の上溝への小田急延伸の実現へ向けた起爆剤になる」と歓迎している。

 ◆相武電気鉄道 東京・渋谷から溝口、淵野辺、上溝、田名を経て愛川まで計画された鉄道。1923(大正12)年に有志の発起人が鉄道省に申請。だが同年の関東大震災で一時頓挫。昭和初期にかけて測量や一部工事も実施されたものの、1927(昭和2)年の金融恐慌とその後の世界恐慌で中断された。

© 株式会社神奈川新聞社