数十年ぶり、新しい大山講 伊勢原、驚く関係者

 江戸の庶民が集団で伊勢原市の大山を目指した大山講−。明治以降減少の一途をたどってきたが今年、関係者が驚く慶事があった。数十年ぶりに新しい講が二つも誕生したのだ。その一つ、県内建築士による「かながわ建築設計大山講」が9日、大山を参拝した。関係者は「講は大山のシンボル。結成が続いてくれれば」と期待する。

 大山講はメンバーがお金を出し合い、地域や職業ごとに結成される大山信仰のための団体。明治初期には関東全域と静岡、山梨などに1万5千ほどあったが、大山阿夫利(あふり)神社に現在登録されているのは700ほどに減った。

 今年、講を結成したのは平塚市の平塚大神宮。8月、宮司を先頭に氏子20人がマイクロバスで日帰りで大山に初参りを行った。古くから阿夫利神社と交流があり、歴史を見直そうと結成したという。同神社の権禰宜(ごんねぎ)(31)は「数十年ぶりではないか。少なくても平成に入ってからは初めてだろう」と喜ぶ。

 今月9日には二つ目の講となる「かながわ建築設計大山講」の20人が大山を参拝した。建築士の団体「県建築士事務所協会」の有志により結成。呼び掛け人(67)=横浜市南区=が「歴史を学べ、商売繁盛を祈願できる上に、宿坊で1泊し、同じ釜の飯を食べ、酒を酌み交わすことで親睦も深まる」と企画した。

 大山は江戸時代から信仰と観光の対象として愛されてきた。夏になると選ばれた講の代表が数十人規模のグループをつくり、徒歩や船で大山を目指した。大山登頂前に麓のこま参道などにある宿坊(旅館)で1泊するのも楽しみの一つ。これまでもイベントなどで一時的な講が作られたことがあったが、継続性のある伝統的な講は減る一方だった。

 伊勢原市内の宿坊の経営者(61)は「講は大山のシンボル。信仰と観光の山の特別な存在で、講がなくなればただの観光地になってしまう」と感じてきただけに、喜びもひとしおだ。

 かながわ建築設計大山講の一行は8日、ふもとの宿坊街を歩いてまわり、古宮旅館に1泊。大山に詳しい産業能率大学の教授(67)から歴史や風習を学んだ。9日は伊勢原市から借りた白い行衣を着て、ケーブルカーで阿夫利神社下社に参拝した。

 海老名市に住む参加者(78)は「大山に来るのは5回目だが、歴史や風習を深く知ることができた」と満足そう。呼び掛け人も「とても良かった。より多くの参加者と来年もまた来たい」と意気込む。

 教授は今年、講の結成が相次いだことについて、「古くからある人のつながり、心のふるさとのようなものを大切にしたいという現代人の気持ちの表れではないか」と分析する。古宮さんは「宿坊の仲間たちと新しい講が増えるようにがんばりたい」と話していた。

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