ごくまれな乾杯に

 夜を徹して「天才バカボン」の原稿を仕上げ、締め切り前に編集者に渡した。あろうことか、編集者ときたらその原稿をなくしてしまった。赤塚不二夫さんは顔を赤くして怒った-のではなく、こう語り掛けたと伝わる。「まだ少し時間がある。飲みに行こう」▲しばらくして仕事に戻り、同じ話を再び描いた。「2度目だからもっとうまく描けたよ」。上司ではなくとも当時売れっ子の大先生である。編集者には遠回しの慰めと励ましが心に染みたことだろう▲といった話も、もはや遠い昔語りかもしれない。シチズン時計(東京)が社会人1年目に聞いた調査で、上司との飲み会が「月に0回」と答えたのは4割に上った、と先日の本紙記事にある▲「飲みに行こう」って後輩を誘ったらむげに断られて…。昔なら上司の誘いは命令に等しくてさ、でもかわいがってもらったなぁ。そんなぼやきを耳にするし、うなずきもするのだが▲酒席に出るよう強いるのは、程度によってはパワハラともいわれる昨今、上司のぼやきも悲しいかな、当世きっと珍しくない▲飲みに出た赤塚さんと編集者は、あったかい時を過ごしただろう。忘年会の時節、ごくまれな乾杯を交わす若い社会人と上司とのやや硬い会話に、慰めか励ましか、あったかい言葉がひょっこり顔を出せばいい。(徹)

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