【鉄の本棚 20】鉄道員/ぽっぽや 浅田次郎 集英社文庫

何を今さら浅田次郎?

・・・と多くの方は感じられるかもしれませんが、実は筆者は初めて浅田次郎氏の作品を読んだのです。東京メトロの90周年記念講演会、浅田次郎氏が講演をされるという記事で、1995年(平成7年)に『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞を受賞、1997年(平成9年)『鉄道員/ぽっぽや』で直木賞受賞作と知って、急遽読んだ次第です。1999年(平成11年)に映画化された『鉄道員/ぽっぽや』は観ました。高倉健さんの鉄道員姿は今でも脳裏に焼き付いていますし、JR北海道の現在は不通区間にある幾寅駅も通ったことがあります。「鉄の一瞥 36」にその時の写真をアップしています。

閑話休題

とにかく映画は何度も観ているのでストーリーは熟知していました。

原作は、文庫本で40ページにも満たない作品ですが、何とも過不足無く素晴らしい。なんて上から目線っぽくてイヤですね。

とにかく初めて読んだ気にはなれません。それでも何度も繰り返し読み返しました。極寒のJR北海道、ローカル駅の尖った寒さと奇妙な暖かさを感じて驚きました。

短編集なので一緒に収められている作品も読みましたが、こちらも凄かった。”ラブ・レター”の冷え冷えとしていて芯だけが無条件に暖かい言葉。遠い昔に読んだ田辺聖子さんの初期短編「うたかた」を思い出しました。

”悪魔”は、正直言ってヨクわかりません。家庭教師は悪魔ではないですよね。母親が魔女の様ですが。(笑)

”角筈にて”は、”鉄道員/ぽっぽや”同様に極めてシンプルで、それ故に抗い様のない哀しさと優しさが読むものを圧倒します。浅田次郎さんの作品は「抗い難い=シンプルな構成」の為に贅肉が削られているんじゃないかと思います。

浅田次郎氏が三島由紀夫を誰よりも好んだ、ということは、恐ろしいまでに彫琢され全く流れる様に自然な文章になって現前していることで分かる様な気がします。ホントに凄い技です。

三島由紀夫の下世話なまでに巧緻なストーリーテリングは、あのオスカー・ワイルドを想起させる極度にシンプルなのに奇妙な衒いに満ちた人工的な文章で綴られて、初めてその高踏的な輝きを放ったのです。三島の文章が例えばドリアン・グレイのあざとい逆説を新古今の怜悧な韜晦に浮かべて叙する技術の奇跡だとすれば、浅田次郎氏のスゴイところはそれをワイルドの書く童話の筆致で行ってしまう膂力なのだ、と感じました。

”伽羅”は源氏物語の六条御息所が実は男嫌いだったら、という遊戯でしょうか。ビアズリーが描いた装飾の様な「描線の快楽」にまで仕上げるのが浅田次郎氏の技量。

”うらぼんえ”は爺ちゃんが良いですね。三遊亭圓朝の高座、その速記録を読んでいる気分になります。江戸っ子の魅力は田舎を鼻で嗤いながらも自らの立ち位置を「危うい宙」に浮かせて痩せ我慢することですから。カッコ良いなぁ。

”ろくでなしのサンタ”は正にワイルドの「わがままな大男」が孤独を見つめる話。鈍感さがある種の美徳であることを浅田次郎さんは意地悪く描いています。

”オリオン座からの招待状”は西陣という地名の無い土地の物語。映画という郷愁が主人公です。狂言回しの夫婦は丁寧に探せばプログラム・ピクチャの中から断片を見つけられそうです。

浅田次郎さんの短編、主人公が”鉄道員/ぽっぽや”を含めて、概ね魅力のない人物であることにも気付きました。主人公は「物語」だからで。その分、脇役がめちゃくちゃに良い。

映画では高倉健さんの魅力が「過剰」なのですが、たぶんそれが無ければ浅田次郎マジックは映像化できないのでしょう。

しかし、初めて読んで圧倒されました。浅田次郎さん、マジでオモシロイです。だからあの様にベストセラーを連発されているのでしょうね。

続けて『地下鉄(メトロ)に乗って』も読んだので、それは稿を改めて書きます。いやぁ、久しぶりに小説というモノを読みましたが、愉しいものですね。堪能いたしました。

(写真・記事/住田至朗)

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