⑨島鉄、長崎自動車傘下へ 交流人口拡大なるか

 経営難に陥っていた島原鉄道(島原市)が、長崎自動車(長崎市)の子会社として再出発することが決まった。役員人事も刷新した上で来年1月16日に新体制が発足。住民の足を守り、島原半島の交流人口を拡大できるか手腕が問われている。

 「人口減少で鉄道、乗り合いバス事業の経営環境は厳しく、それは長崎バスにとっても同じだ。危機感を持ってやる」

 今月15日、長崎自動車による子会社化が承認された島鉄の臨時株主総会後の記者会見で、島鉄の次期社長に就任予定の永井和久・長崎自動車常務は表情を引き締めた。

 島鉄は1908(明治41)年に創業した。鉄道の北線(諫早-島原外港)と乗り合いバス事業をはじめ、フェリーやホテル、不動産賃貸など幅広く展開しているが、累積赤字は7億5千万円に上り、設備投資もままならなくなっていた。

 厳しい経営で「長く尾を引いた」(本田哲士島鉄社長)のが、90年からの雲仙・普賢岳噴火災害だ。鉄道の南線(島原外港-加津佐)は分断され、復旧に向けて95年に県や沿線自治体の出資を受け、今に続く行政色の強い経営体制となった。

 一方、足もとの沿線人口は減少し続けた。県営バスが2007年に島原半島から撤退後、島鉄バスの単独運行となり、収支は一時改善したが、その後また落ち込んでいる。南線は08年に廃止。赤字だった島原-三池(福岡県大牟田市)の高速船事業も他社へ譲渡した。

 15年には鉄道の抜本的な収支改善に向け線路などは自治体が管理し、島鉄は運行を担うといった「上下分離方式」の検討を県と島原半島3市、諫早市でつくる連絡協議会に要望。だが「黒字化は見通せず自治体負担も大きいため進展しなかった」(協議会事務局)。

 島鉄から支援要請を受けた官民ファンドの地域経済活性化支援機構(REVIC、東京)が「交通事業に精通している」としてスポンサーに招いたのが長崎自動車だった。同社は雇用や各種事業は維持し、貸し切りバス事業の共同受注や車両融通などでコストを圧縮。雲仙温泉や「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」など半島の豊富な素材をPRし、観光列車の運行なども検討しながら収益力を高める構想だ。永井氏は「島原半島の核となる企業を目指す」と意気込んでおり、今後どんな事業計画を打ち出せるか注目される。

 今年はほかにも地域の足が問題化した。空の便は、オリエンタルエアブリッジ(大村市)が機体トラブルで相次ぎ欠航、海の便は九州商船(長崎市)の全便ストライキが25日に実施された。あって当然の公共交通機関が止まる影響は計り知れない。「地域交通事業者は地域経済のバロメーター」(REVIC)。交通事業者の果たす役割の大きさが再認識された。

島原鉄道が運営する鉄道、フェリー、乗り合いバスのコラージュ

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