日記は淡々と

 乾いていて、淡々と書かれているだけにかえって行間を読みたくなる。そんな文章とたまに出合う。例えば1945年5月26日の日記から。〈(昨晩は)2時間半にわたり B29機約250機 帝都を焼夷(しょうい)爆撃〉▲後年ノーベル賞を受ける物理学者の湯川秀樹氏が終戦前後に書いた日記を京都大が初公開した。先ごろの紙面でそれを知り、ネットで読んでみる。5月28日も〈戦時研究(F研究)決定の通知あり〉などと短い▲F研究とは、海軍の依頼で進められた原爆に関する研究のことらしい。6月23日は〈F研究 第一回打合せ会、物理会議室にて〉。湯川氏も研究に加わったが、出来事を連ねる日記から心情までは読み取れない▲記録に徹するような文章は戦後も同じなのだが、そのまなざしは戦争、原爆、民主主義に向いたらしい。9月6日は〈死者 広島7万名 長崎2万名〉。さらに負傷者の数、全焼全壊の家屋の数…と、こと細かく▲言うに及ばず、核兵器と戦争の廃絶を訴える戦後の活動は広く知られる。原爆研究は基礎の域を出なかったというが、「F」の文字は終生、胸に重かったろうと想像する▲氏の最晩年の一文を。〈核兵器全廃の方法が必ずあるはずだし、必ずそうあらねばなりません〉。宿願に至る第一歩を日記の「広島」「長崎」の文字に見る。(徹)

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