先発-救援-先発-救援…配置転換のたびに結果 39歳まで阪神で生き抜いた右腕

安藤優也の通算成績

今季限りで引退した安藤、配置転換のたびに結果を出した現役時代

 今季限りで現役を退いた安藤優也は大分県出身。甲子園実績のない大分県立大分雄城台高校を経て法政大に進学した。大学時代は7勝4敗。トヨタ自動車を経て2001年、自由獲得枠で阪神に入団した。

 社会人出身だけに1年目から即戦力の期待がかかったが3勝5敗に終わる。184センチで体重100キロ近くとがっちりした体格から150キロの速球を投げる本格派だったが、17試合で59回2/3の登板で7被本塁打と被弾が多かった。

 翌2003年から2年間は救援投手に転向。2003年は、中継ぎの久保田智之が故障で離脱する中、セットアッパーとして活躍。被本塁打は51試合61回で2本と激減、防御率1.62で、阪神の優勝に貢献した。翌年もセットアッパーとして57試合に投げたが防御率3.58と成績は下落。2005年には先発に復帰し、11勝5敗を挙げ、最多勝(15勝)を記録した下柳剛、13勝の井川慶、8勝の福原忍とともにローテーションの一角を担い、この年も優勝に貢献した。また、唯一のタイトルである最高勝率を獲得している。

 以後、2012年まで先発投手として投げる。完投や完封はほとんどないが、QS(6回以上投げて自責点3以下)の多い安定感のある投手だった。しかし2010年以降、右肩の故障もあって登板数は減少、2012年には13試合で先発するも3勝7敗に終わった。

再転向で見事に復活、成熟したマウンドを見せた安藤

 普通であればこのまま消えてもおかしくなかったが、2013年、35歳になる年に救援投手に再転向。58試合に登板して4勝23ホールド、クローザーになった1歳上の福原忍につなぐセットアッパーとして見事に復活した。

 セットアッパーとしても抜群の成績とは言えず、防御率は2点台から3点台だったが、塁上に走者を出しても大崩れしなかった。また、故障で戦線離脱することも、ほとんどなかった。2013年から2016年まで、4年連続で50試合以上登板。38歳の2016年には42回2/3を投げて被安打わずか29、被打率.196という好成績を残した。速球の球威は落ちていたが、制球力が向上。またフォークに磨きがかかり、技巧派投手として成熟したマウンドを見せた。

 39歳で迎えた2017年のシーズンは、チーム最年長の投手になったが、桑原謙太朗の台頭、マテオ、高橋聡文、岩崎優と中継ぎ投手陣の充実によって、1軍昇格の機会がなく、9月5日に初昇格したがこの試合で打ち込まれたことで引退を決意した。通算成績は77勝66敗11セーブ76ホールド。先発-救援-先発-救援と3度も持ち場を変わりながら、その都度結果を出してきた。チームにとって重宝する投手だった。

 引退後は阪神の2軍コーチとして若手の育成に携わる。安藤の豊富な経験は、若手の育成に大いに役立つのではないだろうか。

(Full-Count編集部)

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