2018年 年男(1)

まだ通過点/鈴木英夫氏(新日鉄住金常務執行役員)/すずきひでお

 還暦の感想を聞かれ、「60歳はまだ通過点。今の健康寿命を考えると、人生はまだ長い」と笑う。

 2015年から新日鉄住金に合流。「環境」などを担当する今の仕事では「長期的視点を考えながらビジョンを描くのが役割」と明確だ。経済産業省でのキャリアを生かして全力投球で臨む。

 経産省では税制や通商関係など幅広い仕事を担当した。防衛省出向時に東日本大震災が発生。数日後に福島第1原発の現場に入り、放水のオペレーションなどを指揮した。

 10年前に始めたというマラソンが趣味。「トレーニングをすれば成長する」と、毎朝、7キロを走る。今年はフルマラソンのベストタイム更新が目標だ。(昭和33年12月10日生)

1000%の思いを込めて/北野嘉久氏(JFEスチール専務執行役員)/きたのよしひさ

 会社生活35年のうち2年を除き製鉄所勤務という現場育ち。千葉の製綱部を起点に開発や設備建設に汗を流した日々は「あっという間だ」。「これまでの経験を後輩に伝授しながら残りも有意義に過ごしたい」。

 忘れ難い思い出ばかりだが、旧2社の交流人事で2006年度から3年務めた福山の製鋼部長時代は特に印象深い。松下幸之助の言葉に学び「自分の思いを100%伝えるため、1000%の思いで接し」ほぼ全員が初対面だった約550人の部下と心を合わせた。就任翌年の粗鋼月産100万トンの新記録は「部下たちが達成してくれた」うれしい思い出だ。

 仕事以外にも卓球や少年野球のコーチなどずっと何かに熱中してきた。料理の腕はこれからも磨くつもりだ。(昭和33年2月20日生)

「チャレンジ精神でグローバル展開」/高島秀一郎氏(共英製鋼会長)/たかしまひでいちろう

 「60歳。還暦? ピンとこないですね」と笑う。「父(故高島浩一氏)も三回り上の戌年だが、還暦当時の父は今の私よりずっとしっかりしていた」。

 1989年共英製鋼入社。枚方、山口などの事業所長や関東スチール社長を歴任。同時に米・アメリスチール、ベトナム・VKS社など海外子会社の経営担当として浩一社長・会長時代を支えてきた。

 数度の経営危機を叔父・高島成光相談役や社員と力を合わせ乗り越え、国内4拠点・海外3拠点の電炉グローバル企業に発展。

 浩一社長から承継した「チャレンジ精神」を基に、今年もベトナム港湾事業などを推進する。「ホッとできるのはまだ当分先です」と前を向く。(昭和33年1月26日生)

「忙中閑あり」/鈴木博之氏(丸一鋼管会長兼CEO)/すずきひろゆき

 「健康で来られたことに家族や会社の皆さんに感謝です」。数年前には腰痛を治してゴルフも復活した。

 事業で国内外を飛び回るとともに、2年前に就任した関西経済同友会代表幹事、昨年からの大阪万博誘致委員会副会長の職務も多忙。周囲も「何とタフな人」と驚く。

 12年前。社長3年目の60歳の時にスタートさせた中期経営計画は、「グローバル化による成長戦略」を軸に策定。以後、海外6カ国に15工場を配置。国内の製販最適化も図った。「もう一皮むけなくてはいけない」と4月から第5次中計に移行する。

 近所づきあいで始めた小唄、恒例の家族全員での海外旅行と「忙中閑あり」を楽しむ。(昭和21年2月7日生)

家族と会社に感謝、地道に誠実に/佐藤公生氏(日鉄鉱業社長)/さとうきみお

 人生で一つの節目を迎えた感慨とともに、「支えてくれた家族、自分を育ててくれた会社に感謝したい」が素直な気持ち。「これまで以上に健康に気を配り、自分が今置かれている企業経営という立場に、地道に誠実に向き合って力を尽くしたい」と抱負を話す。

 印象に残るのは本社鉱石課長時代の10年間。「特に前半の5年間は景気が悪くて苦労もあったが、後半に業績回復という形で報われた。大変だったが、充実した期間だったし、良い経験になった。今の自分があるのもその10年間のおかげかな」と振り返る。

 最近はスパ・温泉施設でのんびり過ごすことがささやかな楽しみだが、「2人の孫に会うこと」が最高のリフレッシュに。(昭和33年12月4日生)

新中計でスタートダッシュ/宮内直孝氏(日本製鋼所社長)/みやうちなおたか

 昨春に社長に就任し、「バタバタしたまま時が過ぎた。今年は次期中計をスタートしつつ、じっくり考えたい」と。その中計で「スタートダッシュを掛けたい」と意気込む。

 産業機械の設計技術畑が長く、丸37年のうち34年間は工場勤務。「新しい装置を開発し、納入後はクレーム対応を受けて一生懸命対策を施し、お客様にも認めていただけた。何度も経験したが、検収を終えた時の安堵(あんど)感は忘れようがない」と。

 工場時代と違い、帰宅後に意識的に歩くようにしている。古代史が好きで、広島製作所時代は単身赴任でもあり、折り畳み自転車を車に積んで九州や奈良まで足を延ばした。「せめて自宅近くを自転車で回ってみようか」と考えているそうだ。(昭和33年1月30日生)

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