次世代の救済 手つかず 「食べていなければ…」苦しみ続く 母親たち

 長崎県など西日本一帯で深刻な健康被害をもたらしたカネミ油症事件は、1968年10月に発覚して今年で50年になる。被害者救済法の施行や一連の裁判の終結を経てもなお、被害者の本格救済はままならず、苦しみが続いている。特に汚染油を当時摂取した母親たちは、わが子や孫ら次世代へのさまざまな影響を恐れ、心を痛めている。「私が食べてさえいなければ…」。母親たちの言葉は、油症事件が終わっていないことを物語っている。

 美しい海に囲まれた五島市。島のへき地に暮らす高齢の女性が、苦難の半生について初めて取材に応じた。油症患者と認められないまま亡くなった夫、生まれつき障害があった長女、成人して病を患った次女ら-。長い歳月が深いしわとなって刻まれた両手を握り締め、静かに話し始めた。

■信じていた

 1960年代、佐藤澄子(仮名)=70代=は市中心部から遠く離れた集落で、漁師の夫や息子たちと暮らしていた。カネミ倉庫(北九州市)の食用米ぬか油は一斗缶で買いだめをして、毎日使用していた。天ぷらなどで使った後、こして何度も再利用した。68年10月以降に油症事件をマスコミが報じたことも知らず、長い間使い続けた。「昔は、お金を出して買うものは信じ切っていた」

 目に見える症状は当時あまりなかったが、長女がおなかの中にいた。生まれると「腸が腐るなど重大な障害」があった。このため幼いころから家族と離れて施設に入り、今は別の施設で暮らす。これが、一家で最初の被害だったかもしれない。

 油症の原因物質ダイオキシン類のポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)は、一般的には胎盤や母乳を通じて子どもに移行すると考えられている。

 元気で明るい性格だった夫は、家族の誰よりも油物の料理を食べた。やがて皮膚のあちこちにやけどのような症状が現れ、2006年ごろから神経疾患などに悩まされるようになった。

 澄子が「カネミ油症」という言葉を初めて聞いたのはこのころという。油症発覚から40年近くたっていた。だが、へき地で生活していたこともあり「報道や他人との会話でも耳に入ってこず、不思議だけれど本当に全く知らなかったの」

 知人からカネミ油症について教えてもらった後、07年に夫婦で初めて油症検診を受けたが、いずれも医療費などの支援を受けられる油症認定はされず、「経過観察」となった。

■ただ、無念

 夫は、その後も島内外で入退院を繰り返した。診察カードはすぐ十数枚になり、医療費もかさんだ。

 突発的な症状がいつ生じるかは分からないため、友人からは「家に来てほしくない」と言われた。「(夫は)それが何より悔しくて情けないと話しとった」。澄子は寂しそうに振り返る。

 澄子の手足の爪は長年黒ずんでいる。足の血管が大きく浮き出るなど体調も万全ではなかったが、自分も病院にかかれば費用がかさむ。「何が何だか分からんまま」、病に苦しむ夫を献身的に支えた。その後も夫と油症検診を受け続けたが、結局、夫は油症患者と認められることなく12年に77歳で亡くなった。夫同様「経過観察」だった澄子が患者と認定されたのは、翌13年のことだった。

 「(夫は)点滴ばかりだったから『ご飯が食べたい』とよく言っとった。それをかなえさせてあげる直前に死んでしまった。油症がなければ今も生きとったかもしれんとにね。ただ、無念」

■拭えぬ自責

 「もし私があの油を食べとらんかったら」-。澄子の自責の念は、長女にだけでなく、40代になった次女に対してもある。次女は20代の半ばに「普通とは違う」肺炎を患い、約2週間検査入院した。今から数年前には乳がんを患い、右乳房を全摘出。現在も腫瘍マーカーの値は高く、痛みやしびれに悩む。だが、カネミ油が原因かどうかは分からない。

 澄子は「もし、私が食べとらんやったら(次女は)病気にならんやったかもしれん。おなかにおる時もカネミ油症のことを知らず、(油をずっと)食べ、おっぱいもやっとったとやけん。自分を責めるとよ」と悔いる。

■認定対象外

 油症と諸症状の因果関係がよく分かっていない次世代。その救済は手つかずだ。澄子は13年に患者と認定されたため、油症発覚前に生まれた息子たちは救済法に基づき同年、「同居家族」として患者認定された。

 だが厚生労働省は、長女のように68年時の胎児、次女らのように69年以降に生まれた人は同居家族認定の対象外にしている。息子たちは口から汚染油を直接食べたが、長女、次女は口から食べていないとみなされている。そのため、患者と認められて医療費などの支援を受けるには、親と同様にダイオキシン類の血中濃度など、油症検診で診断基準を満たすしかない。

 次女は一度だけ油症検診を受けたが、数値に異常はなかった。油症の名が付く検診を、覚悟を決めて受けても無駄だったのだ。

 「自分の病気と油は関係あるかもしれないし、ないかもしれない。でも検診結果を見たら『あー、違うのか』と思う。自分のがんは何からきたものだろうとも考える。油症と自分は遠い関係で、正直、当事者意識は低い。認定されれば違うと思うけど…」。次女は、複雑な胸中を語る。

 油症との関係があるのではないかと疑われる疾病を抱えた次世代は数多い。だが、被害者だと声を上げることはできない。=文中敬称略=

「私が油を食べとらんやったら…」。自責の念にかられながら半生を語る女性=五島市内

© 株式会社長崎新聞社