新認定訴訟判決に失望 救済法成立も埋まらぬ溝

 カネミ油症は、カネミ倉庫(北九州市)が米ぬか油を製造中、カネカ(大阪市、旧鐘淵化学工業)製ポリ塩化ビフェニール(PCB)が混入して発生。PCBの一部はダイオキシン類のポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)に変化していた。油を口にした人は内臓疾患や皮膚、神経、骨の変形など多種多様な症状に苦しみ、色素沈着のいわゆる“黒い赤ちゃん”も生まれた。人的被害が広がる前には、カネミ倉庫の汚染油を使った飼料で鶏が大量死した「ダーク油事件」も起きた。

 1968年に被害が表面化した当初、約1万4千人が健康被害を申し出たが、不完全な診断基準で、一緒に暮らす家族でも油症認定の可否は分かれた。これまでの認定患者は2307人(死亡者含む)で、うち本県での認定は958人。県内の生存者は472人(いずれも昨年3月現在)。

 69年以降、被害者はカネミ倉庫やカネカ、国などに損害賠償を求める集団訴訟を相次いで起こし、87年に双方が和解するなどして終結した。一方、これ以降に新たに油症患者と認められた被害者は2008年に提訴。新認定訴訟と呼ばれ、原告は、油症の主因ダイオキシン類の血中濃度が診断基準に追加された04年以降の認定患者が多かった。

 新認定訴訟で最高裁が15年に下した決定は、不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅するという民法の「除斥期間」を採用。油症発覚翌年の69年末から起算し、原告の大半が油症に認定される前の89年末には訴える権利が消滅しているとして訴えを退けた。理不尽な判断に被害者は失望した。

 2012年に「カネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律」(被害者救済法)が成立。全患者救済を目的とした初の法律で、認定患者と当時同居していた家族も患者と認める同居家族認定や生活支援金支給などが実現した。

 同法にのっとり13年6月からは年2回程度、被害者団体と国、カネミ倉庫で3者協議を継続中。次世代救済や支援拡充、診断基準見直しなどを求める被害者側に対し、カネミ倉庫は経営難などを理由に消極的。国も積極姿勢を見せず、溝は埋まっていない。終わりの見えない現状に、被害者たちは焦りを募らせている。

© 株式会社長崎新聞社