日本の正月を飾る伝統料理、おせち。(株)三越伊勢丹が昨年販売したおせち商品に、漆芸家・野田とし子さん(75・南足柄市在住)の器が起用された。
同社は「100年先にも伝えたい、おせちの未来を描きだす。」と銘打ち、3人の料理人と3人の工芸家のコラボレーションを企画。この1人に野田さんが選ばれた。同社担当者は「美術品として作る方もいるが、野田さんは生活に取り入れて使う器として作っている。老若男女問わず、普段使いしてもらい、使って広める事に力を入れているので依頼しました」と経緯を話す。
昨夏に依頼を受けた野田さんは「正月らしくなるように」とうるしの器を用意。重箱は朱を入れて、出世箔と呼ばれる金箔をあしらった作品だ。依頼を受けてからはせわしなかったというが、振り返るその表情には喜びと充実感が溢れる。
※2018年三越のおせちは昨年中に販売を終了し、現在は取り扱っていない
きっかけは1つの「椀」
うるしのきっかけは1つの椀―。出会いは23歳の夏。衣服の学校に通っていたとし子さんは、デザイナーの手伝いで仮縫いのため漆工芸家・野田行作さんの実家を訪れた。戦後の日本で普段使いの食器はベークライト製だった当時、漆器は正月や来客の折に用いる特別な器というイメージがとし子さんにあったが、行作さんの漆器は「少し格調があって、モダンで季節を問わず毎日でも使えそうな器」。それまでのとし子さんの観念を覆す器だった。
当時、行作さんは33歳。東京藝術大学卒業後、町田市で創作活動をしていた。器を見ていろいろと感想を話したとし子さんを行作さんの親が見初め、見合いの末、その年の秋には籍を入れた。元来ものづくりに興味があったとし子さんは「単なる主婦より面白いかも」と迷いはなかった。
漆工芸家に嫁ぐことはつまり、働き手としての役目もそこにはあった。漆に触ってから最初こそ変化はなかったが、2カ月たったあたりから四肢や首がかぶれ、20代半ばのうら若き乙女は大変な思いをした。それから、工房の職人の食を賄い、授かった3兄弟を育てながらも、「一番は仕事」と腹に決め行作さんを手伝い、支えた。
1992年、行作さんが他界。下塗り、中塗りなど見て学んだとし子さんに、行作さんが病床で唯一教えたことが、仕上げの上塗り。葬儀の直前、三越から個展の依頼が届いた。行作さんの恩師からは「君が引き継いでやるんだよ」との言葉。「清水の舞台から突き落とされた気分」と言いながらも、木地屋や他の作家の支えもあり、1年半の準備を経て個展を開催。昨年末で10回目を数えた。
「唇に触れる中で最高の器」
1つ作るのに2年を費やすこともある漆器。温度と湿度に左右される木はすぐに加工せず、1年間は工房において動きを見る。自然物だけで作られている漆器の良さを、「当たりの柔らかさ。唇に触れる器の中で最高の器」といい、感触が唇に似ているのだという。
9千年以上使われている漆器は軽くて丈夫。手に馴染み、修理もできる「日本の風土に合った器」だ。制作時は器にどんな料理が盛り付けられるかに思いを馳せる。ただ「お使いいただく器を作る上で一番大事なのは下地」とし、すべてに影響する根幹にこそ重きを置く。「下仕事がしっかりしていないとやがて愚かさが出る。器もそう、人も同じよ」と漆を通じて食生活、食文化を継承する一人だ。
とし子さんの器は息子・野田迅さんが経営する小田原駅近くの飲食店・じんりき厨房や、じんりきダイニングWABITOで使用され、汁椀や盆、枡やデザートの器として一般客に提供されている。