ハム宮台は球史に名を刻めるか 東大出身の過去5選手の足跡は

日本ハムの新入団会見に臨んだ宮台(右端)【写真:石川加奈子】

日本プロ野球史上わずか6人の「東京大学出身」選手たち

 昨秋のドラフトで北海道日本ハムからドラフト7位で指名を受けた宮台康平投手。東京大学出身者としては、史上6人目のプロ野球選手となる。そこで、今回は過去にプロ入りを果たした東京大学出身者を紹介し、改めてその足跡を辿っていきたい。

〇新治伸治氏
 東京大学出身者史上初のプロ野球選手である新治氏。卒業後の1965年、大洋漁業(マルハニチロ)へ入社。しかし、当時の球団オーナーの「南氷洋に行ったつもりで、プロで投げてみないか」という言葉と、「魔術師」の異名をとった名将・三原脩監督の要請を受け、サラリーマンの身分のまま大洋ホエールズ(現・横浜DeNA)に“出向”。かくして、史上初となる東京大学出身のプロ野球選手が誕生することになった。

 入団の経緯こそ特殊だったが、新治氏の実力は本物だった。プロ入り初年度の1965年から主に中継ぎとして40試合に登板し、5勝2敗、防御率3.16という成績を残す。続く1966年も37試合に投げて4勝4敗、防御率3.60とチームに貢献。話題性だけにとどまらない自身の能力の高さを見せ付けている。

 1968年に現役を退いてからは親会社に復帰し、順調にキャリアを積んで関係会社の社長にまで出世を果たす傍ら、大洋・横浜の非常勤取締役や球団顧問も経験。社会人としても成功を収めた新治氏がプロ野球で残した通算9勝という数字は、現在に至るまで東京大学出身投手の最多勝利記録となっている。

東大出身選手として唯一の本塁打をマークしている井手

〇井手峻氏
 東京大学のエースとして活躍した井手氏は、1966年ドラフトで中日から3位指名を受けると、三菱商事の内定を辞退してプロ入り。史上初めて、ドラフトで指名されて入団した東京大学出身のプロ野球選手となった。

 1年目から1軍で登板機会を得た井手氏は、プロ入り初勝利を挙げた試合で、奇しくも新治氏と史上唯一の「東大出身選手の投げ合い」を実現させている。しかし17試合に登板して1勝4敗、防御率5.13と苦しみ、翌年以降は怪我で1軍登板は叶わず。プロで挙げた白星は、先述の1勝のみに終わってしまった。

 しかし、俊足と強肩を買われて外野手へ転向すると、代走や守備固めとして出場機会を増やしていく。打席に立つ機会は多くなかったが、1973年5月5日の巨人戦で高橋一三氏からプロ生活最初で最後の本塁打を放ち、さらにこれが決勝弾となり、お立ち台に上がっている。東京大学出身者が記録した本塁打は、今なおこれが唯一だ。

 1974年には84試合に出場し、巨人のV10を阻止した中日のリーグ優勝にも貢献。通算359試合出場は、東京大学出身者としては歴代最多となる。現役を退いた後はコーチやフロントとしてチームに携わり、球団代表まで上り詰めている。2015年に取締役相談役を退任するまで、50年以上にわたって縁の下の力持ちとして中日を支える存在であり続けた。

〇小林至氏
 東京六大学では通算0勝12敗ながら、入団テストと練習生を経て、1992年のドラフト8位で指名を受けて千葉ロッテの一員となった小林氏。

 2年間の現役生活で1軍登板は1度もなかったが、引退後はコロンビア大学経営大学院でMBAを取得。2005年から福岡ソフトバンクの取締役等を務めた。2014年に退任するまでに3軍制度の導入や大物選手たちの獲得を手掛け、黄金時代を築くにあたって重要な役割を担った。

横浜、日本ハムに所属した松家

〇遠藤良平氏
「神宮のマウンドで投げる」という夢を叶えるために東京大学を目指し、一浪を経て見事に合格を果たした遠藤氏。1年次から憧れの舞台で登板を重ね、左腕としては東京大学野球部史上最多の通算8勝を挙げている。

 1999年ドラフトで日本ハム(現・北海道日本ハム)から7位指名されてプロ入り。2年間の現役生活で1軍登板は1試合のみだったが、引退後はフロントとしてチームに残留。現在は北海道日本ハムのゼネラルマネジャー補佐を務めており、来季からは宮台投手を見守る数少ない「先輩」ということになる。

〇松家卓弘氏
 東京大学でエースとして活躍し、25試合3勝17敗という数字を残した松家氏。2004年のドラフト9位で横浜(現・横浜DeNA)から指名され、国際協力銀行(JBIC)の内定を辞退してプロ野球の道へ進むことを決断した。

 プロ入り後4年間は1軍登板がなかったが、2009年に初登板を果たす。150キロを超える直球と鋭いフォークを武器に、9試合に登板して0勝1敗、防御率4.60。プロ入り初安打を放った9月28日の広島戦では、その投球を見た達川光男氏が松家氏の素質を絶賛していた。翌2010年にトレードで移籍した北海道日本ハムでも期待され、4月頭までに5試合に登板。しかしその後は相次ぐ怪我に悩まされてしまい、以降1軍登板は叶わなかった。

 2012年限りで戦力外通告を受けたが、教員への転身を目指して猛勉強を開始し、2015年に難関の香川県教員採用試験を見事突破。現在は香川中央高校で教鞭を執っている。

 以上のように、実績としては新治氏と井手氏が図抜けた存在となっている。近年プロの門を叩いた3選手は苦戦を強いられていたが、宮台は過去の歴史を塗り変えるような活躍を見せられるだろうか。「東京大学出身」ではなく「宮台康平」という1人の選手として、日本プロ野球界にその存在を印象付けるために。22歳左腕の挑戦が始まる。

(上岡真里江 / Marie Kamioka)

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