第4部「再起」(6) 今は未来への助走期間 手紙に記した言葉

吉川修司が20代女性に宛てた手紙のコピー。ひきこもりの期間は「助走段階」だと励まし、間もなく感謝の言葉が届いた。

 札幌市で1999年にひきこもりの人の支援団体「レター・ポスト・フレンド相談ネットワーク」を立ち上げた田中敦(52)のもとに、ある日、1本の電話がかかってきた。「職場でうまくいかない」。新聞記事で団体の活動を知った吉川修司(50)からだった。

 聞けば、運送関係の非常勤職員として働いているが、同僚から心ない言葉を浴びせられている。「仕事をできない自分が悪い」。そう繰り返す吉川に、田中はある提案をした。「良かったら、手伝ってもらえませんか」

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 田中が不登校や高校を中退した子どもたちの電話相談を始めたのは92年。多い日には50件ぐらいかかってきたが、途中で切れたり、終始無言だったりすることもあった。悩みを抱えているにもかかわらず、受話器を握ると声を上げられない人の存在に気付いた。

 「手紙ならゆっくりと時間をかけて、思いをつづってもらえるはずだ」と考え、文通による支援活動に切り替えることに。だが返事を書くスタッフが足りない。同じ苦しみを経験し、相手の気持ちに寄り添える吉川は適任に思えた。

 早速、5年間ひきこもりを続けている20代の女性から手紙が届いた。小学生の時にいじめに遭って以来、人に気に入られるように生きてきたこと。家族に迷惑をかけている自分が嫌で嫌でたまらないこと。叫びにも似た文章は、こう結ばれていた。〈ここから出たい〉

 吉川は何度も読み返し、ワープロで文字を打ち始めた。

 〈ひきこもりの期間は次のステップへの助走段階としてとらえ、立ち止まって自分を見つめ直す作業をしていると考えてほしい〉

 仕事はつらく、先の展望も開けなかったが、手紙を書いてくれた人がどんな言葉を掛けてほしいのかを考えるうちに、自分も少しだけ心が軽くなった。女性から間もなく、感謝の言葉が届いた。

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 吉川は2003年に運送関係の仕事を辞めた後、月に数回、レター・ポストの会報作りやひきこもりの人が集う自助会の運営を手伝うようになった。NPO法人化後は理事になった。だが、あくまでボランティア。両親が亡くなり、50歳となった今、改めて「働くとは何か」という問いに向き合っている。(敬称略)

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