2018年 年男(3)

製造基盤を強化/岸上公久氏(新日鉄住金ステンレス取締役執行役員)/きしがみてるひさ

 新日本製鉄では八幡一筋。設備部を皮切りに米国留学後は主に製鋼畑で製鋼部長、生産技術部長、ステンレス部長を経て2012年にNSSCに。「製造現場の仕事は全て強烈で、技術屋人生の基盤になっている」。

 日新製鋼との交流では「文化の違いも分かってきた。違う者同士のベクトルが合ってくると非常に大きな力になることは何度も経験しているし、今までの経験が生かせるのは楽しみ」と目を輝かせる。

 今年度を最終年度とする中期計画で安全・環境・防災や設備保全の対策は相当進んだ。「来年度からは5年、10年先も戦えるように製造基盤強化を進める」。最近は「若い連中と飲むのが楽しみ」になっている。(昭和33年3月19日生)

剣道場開き、礼節教えたい/原田弘人氏(原田鋼業会長)/はらだひろと

 「還暦時点は現役(会長兼CEO)で特別な感想はなかった。今回が本当の還暦の気持ちで、新たな旅立ちだ」と語る。心も身体も若さを保つ。小学生から始めた剣道は5段の腕前。20代で一度剣を置いたが、10年前に再燃。2009年に創った自社剣道部の猛者と汗を流すことも。毎朝100本の素振りも欠かさない。礼節を尊ぶ武道は人間形成に最適と考え、「いつか子どもたちに教える道場を開きたい」として、道場名も決定済みだ。

 会社経営の理念を同じくする長男・憲太郎社長に全幅の信頼を置き「美しき継承」は最終段階。全てを受け入れる姿勢は変わらず「心を動かす感性を持ち続け、志高頭低の感謝の気持ちを忘れない」。(昭和21年2月1日生)

視線は20年の先/釣谷宏行氏(CKサンエツ社長)/つりやひろゆき

 1997年にシーケー金属、2000年にサンエツ金属の社長に就任。当時は4期連続の経常赤字だった。厳しい環境下で取り組んだのは新製品開発。現在では亜鉛鍍金のすべて、配管機器の9割、伸銅品の5割は新製品に置き換わった。市場が縮小する中、同業他社との業務提携による業界再編も推進。同社のプレゼンスを高め、シェアを拡大してきた。

 03年には大腸がんを克服。リーマンショック時の経営難も乗り越え、昨年3月「還暦と20年の創業100周年までの目標」だった東証上場を果たした。「何度も修羅場を経験しここまで来られたのは皆様のおかげ」と感謝する。

 今後は20年以降の経営環境を見据えた体制作りと「事業子会社を若手に任せてみたい」と後進育成にも注力する。趣味の読書は経営などの実務書から戦記ものまで幅広い。(昭和33年11月12日生)

妻とゆっくり海外旅へ/西村達夫氏(西村鋼業会長)/にしむらたつお

 還暦から2度目の年男を迎える。昨年11月には社長の座を長男の将司氏に譲り、自身は会長に就任。「偶然にも先代から社長を継いだのは同じ42歳の時。新社長には気負わず、専務や常務、社員と力を合わせて社業を発展させていってほしい」と期待を寄せる。

 関東と東北に拠点を構える平鋼の専業老舗特約店のトップとして、約30年にわたり会社をけん引。2016年には創業100周年を迎え、本社第2倉庫も新設して業容拡大も果たした。また06年5月から3年間、東鉄連会長に就き業界発展にも寄与している。

 趣味だったヨットは〝卒業〟。「引き継ぎが一段落したら、妻と一緒に世界を巡ってゆっくりするつもり」で、帰国後には旅の風景を水彩画で描くのが目標だ。(昭和21年7月9日生)

「ユニット建築海外へ」/佐藤憲二氏(サトコウ社長)/さとうけんじ

 12年前を振り返ると、厳しい経済環境だった。その間、上越地域も北陸新幹線など社会インフラが相当整備された。今や大手企業の海外進出、AIやIoTなど、技術進歩が目覚ましい中で、鉄鋼を扱う〝伝統的〟企業はどう生き延びていくか自問自答する。

 独自のアイディアを持ち、これからの時代を見据え革新していかねばならない。立ち上げから20年たつ弊社のユニット建築「SSUT」工法も常に挑戦だ。今年も広く知っていただくアクションを起こしていく。近年は近隣諸国からの引き合い、問い合わせがある。地域で育てていただいたものを海外に広げる波が来ていると期待したい。 (昭和21年11月6日生)

「スーパーダイマ」提案に思い出/岩本隆夫氏(日鉄住金テックスエンジ執行役員)/いわもとたかお

 1980年に前身の日鉄電設工業に入社し、ずっと電気・計装工事の設計に携わってきた。

 君津支店時代に取り組んだ製鉄所以外の外部工事の収益改善が思い出の一つ。1円でも多く稼ごうと仲間と苦楽を共にした日々は「忙しくも楽しかった」と感慨深い。

 今から10年ほど前に日立製作所と協業したメガソーラーの工事も印象に残る。架台の軽さと耐久性の両立というニーズに対し、当時、架台向けにはまだ普及していなかった新日鉄のめっき鋼板「スーパーダイマ」を提案し、顧客の心をしっかりつかんだ。

 海外旅行は50代で初めて経験した。今は仕事柄なかなか行けないが、時間ができたら夫婦水入らずで楽しむつもりだ。(昭和33年1月30日生)

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