2018年 年男(4)

厚板を安定生産/吉田健氏(新日鉄住金ステンレス執行役員)/よしだたけし

 冬は56歳で走り出して以来年1回出場するフルマラソンに向けた練習、暖かい季節はロードバイクで汗を流す。「プライベートは運動に限らずバランス良く」と考えるそうで、「還暦は一つの区切りなので今年の北九州マラソンは4時間半で走りたい」。

 八幡製造所は世界屈指のステンレス厚板工場。所長として「安定生産を続け、安全・環境・防災を含めた対策もしっかり実行する」と強調する。社会インフラ整備をはじめ二相鋼の認知も広がり、「引き続き『信頼の八幡』を目指していく」。

 八幡のステンレス厚板を熟知する。厳しい時代を知るだけに「統合後の厚板は正のスパイラルをたどってきた」との言葉にも実感がこもる。二相鋼では海外営業や商品開発にも直接携わった。(昭和33年9月29日生)

「元気印の山本さん」/山本英樹氏(伊藤忠丸紅鉄鋼執行役員大阪支社長)/やまもとひでき

 「よくぞここまでやってこられた。上司・同僚、先輩後輩、何よりお客様のおかげです」と感想。

 足腰の強い営業が持ち味で「元気印の山本さん」とファンも多い。

 学生時代は剣道、アメフトで鍛え、現在も沖縄の海などでスキューバダイビングを楽しむスポーツマン。

 鋼管貿易畑が長く、勤続35年のうち16年間を中東やアジアに駐在。イラン・イラク戦争ではトルコ航空の救援機でテヘランから脱出。湾岸戦争直後のサウジアラビアにも駐在。「貴重な財産です」。2年前から大阪支社長に。「観自在」(自由に見て考える)を座右の銘に、横連携・全員営業の先頭に立つ。

 歴史好きで、今年も京都・奈良の古都散策を楽しむ。(昭和33年9月6日生)

目標は「人生120歳」/井上惣太郎氏(メタルワン執行役員)/いのうえそうたろう

 「かつて『商社マンは人生50年』などと言われていた時代を考えると、自分が還暦を迎えるまで健康で働き続けられているのは感慨深いものがある」と語る。

 三菱商事入社後は、ほぼ鉄鋼貿易に従事。海外駐在はデトロイト、リオデジャネイロ、バンコクで通算12年に及ぶ。「ブリキの営業をしていた1980年代後半に、いろいろ苦労しながらモルディブの国営缶詰会社向けで最初の商売を作った」のが良い思い出。デトロイト駐在時は自動車ビッグ3向けの商売を担当した。

 健康のため、ジムでのウエートトレーニングは30年以上続けている。目標は「人生120歳」。今後は、かつて趣味で行っていた小説の執筆再開も密かに計画中だ。(昭和33年11月13日生)

コールサインで世界と交流/北村光章氏(東海鋼材工業社長)/きたむらみつあき

 「やれることを所与の条件の下で最大限に行い、成果を出す」と開口一番。「還暦」が似合わぬ一人。今年の経営課題も「設備と人(教育)をリフレッシュし、基盤を固める」と。

 電気に強く、子供のころから電気工作が趣味。しかし、阪大院では冶金を修了して鉄の世界に。新日鉄住金名古屋製鉄所で高炉、原料部門での経験が長く、高炉改修、リサイクル、発電所の建設で陣頭指揮を執ったことが心に残る。

 製鉄所時代はアマチュア無線部に所属。1992年に国家資格を取得し、昨年、一念発起して3級を取得。コールサインで世界とつながる。「当社は無線塔にも使うパンザーマストの製造も手掛ける。そこでの社長業。これも縁ですかね」と微笑む。(昭和33年9月2日生)

新たなチャレンジの年に/中島貞光氏(中島鉄店社長)/なかじまさだみつ

 創業(1907年)から数えて110周年の節目だった昨年。自社の事業将来性を見極めた上で厚板溶断(切板生産)をアウトソーシングに切り替え、厚板の素材や切板を主体に扱う鋼材の「販売業」に業容転換した。

 そして迎えた自身の還暦。「通過点」ではあるが、2年続いた大きな節目に際し「今の商売をベースにしながら何か新しいことにも前向きに挑戦する年にしたい」と意欲的だ。

 〝サミー〟の愛称で誰からも慕われる。亀戸鉄睦会の会長でもあり「サミー流」の舵取りを如何なく発揮する。多趣味でも知られるが、特に「SUP」(サップ=スタンド・アップ・パドルボード)愛好家として家族や仲間と楽しむ機会は多い。(昭和33年2月18日生)

施策完遂し創業150周年へ/大島敬氏(三井金属取締役常務執行役員)/おおしまたかし

 神岡鉱業所でプラザ合意、本社財務でバブル崩壊、銅箔事業でITバブル崩壊、半導体実装材料(TAB)事業でリーマンショック。「私が行くと何かが起こる」と苦笑するが、「厳しい状況の中で経理から労務、総務などさまざまな仕事に関われたのは良い経験になった」と振り返る。

 なかでもTAB事業の撤退作業に現場で関わったことが印象に残る。「良かったのはそこにいた人たちが現在ではさまざまな事業部でコア人材となったこと。どこに行っても顔見知りがいる」と笑う。

 還暦の実感はないが、「一つの区切りなので今の仕事をきちんと仕上げたい」と抱負。「24年の創業150周年に向けて全社で取り組むさまざまな施策の完遂がやるべきこと」。(昭和33年10月16日生)

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