教え子「一日も忘れない」尾木さん 軽井沢バス転落2年

 県内在住の大学生ら15人が死亡、26人が重軽傷を負った長野県軽井沢町のスキーバス転落事故から、15日で2年がたつ。「一日たりとも事故を忘れたことはない」。ゼミの学生10人が被害に遭い、うち4人の命が奪われた法政大特任教授の尾木直樹さん(71)は、事故から救えなかったという自責の念と向き合い、今も教え子を思う日々を送る。「人の命を大切にできる社会でなければならない」。事故のない安全な社会の実現を訴える。

 「いつも持ち歩いているポシェットの中に4人の写真を入れています。一日も忘れたことはありません」 尾木さんの中には、亡くなった一人一人の輝いていた姿が今も深く刻まれる。

 ある学生は東南アジアへボランティア留学を控えていた。「『日本で見たものを現地の子どもたちに伝えたい』と言い、大型バイクを買ってお父さんと2人で全国を巡るツーリングの旅を始めたばかりでした」 誕生日を迎えたゼミ生をみんなで囲んでお祝いしたり、海外の教育現場の視察へ行ったり。仲が良いだけではない。切磋琢磨(せっさたくま)しながら成長するさまは、尾木さんの誇りだった。

 「『これからという時に夢を絶たれた』とよく言われます。でも、違うんです。すでに一人一人が『ぎらぎら』と輝いていた。取り返しのつかないという言葉が、こんなにも身にしみたことはありません」 卒業記念のスキー旅行の道中で巻き込まれた事故から2年。残された6人の学生は全員就職を果たし、それぞれの道を歩み始めている。しかし、どれだけ時を重ねても深く刻まれた傷が癒えることはないという。

 全身麻酔の手術を繰り返しても後遺症が残り、今も治療を続ける学生がいる。月命日には必ず4人のお墓参りを続ける学生がいる。「そうしないと耐えられないのだろうと思う。自分だけ生き残ってしまった、そんな贖罪(しょくざい)意識が強いのかもしれない」。教え子たちの心の内を推し量る。

 「もう一度息子の声を聞きたい」。今も涙する母親がいる。ただ、わが子のゼミ生活を知りたいと、遺族に尋ねられることも少しずつ増えてきた。

 「どんな勉強をしていたのか、どんな会話を交わしていたのか、目を輝かせて聞いている。わが子のことをもっともっと知りたい、という思いが強くなっているように感じます」 尾木さん自身は、自らを責める気持ちと向き合う日々を過ごしてきた。

 「先生のゼミに入りたいと、高校2年生の時から決めていたんですよ」。ある学生の葬儀で出身校の教諭から聞かされて初めて知った。「僕のゼミに来て、巻き込まれてしまった。自分の責任という思いで申し訳ない。つらいですね」 一方、国の打ち出した再発防止策の実効性を、尾木さんは強く疑問視する。例えば違反早期発見のための監査強化策である民間機関の巡回指導は人員不足が顕著で、神奈川を含む1都7県約780営業所を回る指導員などはわずか6人。全事業所を回るには数年かかる計算だ。「今もバスは走っている。待ってはいられない」。不十分な対策に命の扱いを軽んじる社会のありようを感じ、「国が本気で向き合っていないことの表れ。むしろ怒りの底が深まっていく。命を守ることに真剣になって」と憤る。

 昨年6月、長野県警はバス運行会社の社長らを業務上過失致死傷の疑いで書類送検した。学生も遺族も、そして尾木さんも起訴を願う。原因の解明と責任の所在を明らかにし、再発・未然防止に結びつくと期待するからだ。

 「つらかったよね」。大手術を繰り返した学生に、尾木さんが声を掛けたことがある。「助けてくれた人たちの素晴らしさが分かって、勉強になりました」。学生はそう答えたという。物事を必死に深く考えている姿勢に心を打たれた。

 「かわいそうな事故、で終わらせないでほしい。想像力を持ち、一人一人に命の大切さを考えてほしい」

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