カネミ油症あす3者協議 救済法施行3年を「検証」 未認定患者は抜本策切望 「国の考え聞きたい」

 1968(昭和43)年に発覚した国内最大規模の食品公害カネミ油症事件で、被害者団体と国、原因企業のカネミ倉庫(北九州市)が意見を交わす第6回3者協議が24日、福岡市で開かれる。今回は被害者救済法が施行から3年を経過したことを踏まえた「施策の検証」が大きなテーマ。現在の救済措置が限定的なため、未認定患者らからは抜本的な救済策を求める声が上がっている。

 五島市奈留町は、油症患者が集中する島だが、40人ほどが暮らすある集落では、周辺集落も含めて認定患者がわずか。最近ようやく認定につながる検診を受ける住民が出始めているという状況だ。

 この集落の60代男性は、2年前から検診を受けているが認定されていない。7人きょうだいで、姉に勧められ検診を受け始めたが、両親も含めて家族全員が未認定。以前は吹き出物やさまざまな内臓疾患に悩まされた。9年前に腹部から腰回りにかけて立ち上がることができないほどの痛みが襲い、漁師の仕事を続けられなくなった。いくつも病院を回ったが、原因は分からなかった。

 油症発生当時、集落には200人ほどがいた。原因不明の皮膚病を患う人や心疾患で亡くなる人が多いなど、今振り返れば油症が疑われる事案が多くあったが、当時の油症に関する行政の周知不足に加え、秘匿したいという個々の感情も絡まり、大半が認定されていないようだ。「集落内は親戚も多く、全体が家族のようなもの。カネミ油を自宅で使っていなくても、どこかで(汚染油を)食べている可能性はある」と男性は明かす。

 救済法では、認定患者と油症発生当時に同居し汚染油を摂取した家族を患者とみなす「同居家族認定」が始まっているが、男性は「そもそも集落に認定患者はいないから(同居家族認定は)私たちの救済にはならない」と憤る。47年放置してきた国の対応に怒りを感じつつ、「厳しい診断基準そのものを見直してほしい」と抜本的な策を国に求める。

 2013年から計5回開かれた3者協議だが、目立った成果はなく、今回もどう進行するのか不透明。出席するカネミ油症被害者五島市の会の宿輪敏子事務局長は「訴えたいことは山ほどあるが、これまでの協議で決まったことは何もなく、国が救済に向けた施策を推進しようとしているとは思えない。国がどう考えているのかを聞きたい」と語る。

◎ズーム/カネミ油症被害者救済法

 正式名は「カネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律」。2012年9月施行。1968年の油症発覚以来、全ての患者救済を目的とした法律は初めて。付則第2条で、施行後3年をめどに「施策の在り方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする」と規定している。

(2015年10月23日掲載)

昭和40年代の集落の写真を示し、「油症が疑われる事案を多く見聞きした」などと話す男性=五島市奈留町

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