サッカーの日本代表で活躍し、2015年シーズンを最後に現役から退いた鈴木隆行氏の引退試合が行われた。
11~14年までプレーした水戸の本拠地、ケーズデンキスタジアム水戸には9155人が来場。同スタジアムでのリーグ公式戦の最多入場者数1万420人(2016年3月6日、C大阪戦)に迫る客足で、鈴木氏がどれだけファンに愛されたかが想像できる。
キャリアの振り出しとなった古巣鹿島のユニホームを着たサポーターも駆けつけ、ストライカーの最後の勇姿を目に焼き付けた。
試合終了後に41歳の鈴木氏は「今も夢を見る。得点を決める最高の気持ちからふと起きた時に、もう現実じゃない、プレーしないと思うと寂しく思う」とあいさつし、未練をにじませた。
一方で「ここで区切りがついた。また(指導者として)現場に戻ってくる」と力強く語り、新たな夢へと踏み出した。
鈴木氏を象徴するシーンが2002年ワールドカップ(W杯)日韓大会、1次リーグ初戦だったベルギー戦での得点だろう。
0―1の後半、小野伸二選手からのロングボールで抜けだし、思い切り伸ばした右のつま先で、ワンタッチで押し込んだ。金髪をなびかせ、絶叫しながら味方ベンチへ駆け寄る姿が強く印象に残っている。
当時の代表メンバーで、引退式に駆けつけた中山雅史選手は「相手に先制されて怖さを覚えた直後の得点。あれで日本代表を救った」と振り返る。
柳沢敦氏は「努力の積み重ねが、あと数センチ、数ミリでボールに触れるという結果につながった」とたたえる。
日本はこの試合を2―2で引き分け、W杯史上初の勝ち点を獲得。そして、決勝トーナメント進出へとつながっていく。
日本代表では国際Aマッチ55試合に出場して11得点。実績は輝かしいが、決して華麗な選手ではない。むしろ泥臭いプレーが真骨頂だ。
身体能力を生かしたポストプレーが味方を生かし、豊富な運動量で守備面でもチームに貢献。闘志あふれるプレーでファンを魅了した。
茨城県日立市出身。1995年に鹿島に入団してプロ人生を歩み始め、引退するまで21シーズンで所属したのは計10クラブ。ブラジル、ベルギー、セルビア、米国と海外も渡り歩き、自らが生きる道を探し続けた。
11年に東日本大震災が発生すると、一度は決意した引退を翻意。「茨城のために何かしたい」と、震災の余波で経営難の水戸とアマチュア契約し、無報酬でプレーした。
端正な顔立ちとは対照的に「執念」「男気」といった無骨な言葉がよく似合う。
現在はJリーグ監督に必要なS級ライセンスの獲得を目指し、今年度中にも取得できる見込みという。
元日本代表で指導者としても先輩の藤田俊哉氏は「彼みたいなストライカーが必要。大事な時に決める選手がW杯では必ず必要。そういった選手を見つけ、育ててほしい」と期待する。
将来像について鈴木氏は「常に挑戦。死ぬまで勉強。愛されるような、選手を愛せるような監督になって、世界に出て行きたい」と語った。
現役時代と同様、指導者としても日本サッカー界の地平を切り開く存在になってくれると期待している。
鉄谷 美知(てつや・よしとも)1977年生まれ。仙台市出身。2002年に共同通信社入社。福岡支社、大分支局、大阪支社運動部を経て12年から本社運動部。ロンドン、リオデジャネイロ両五輪、サッカーW杯ブラジル大会を取材し、現在はパラスポーツなどを担当。