甲子園勝利数、優勝数は最多 強豪の土台築いた亡き指導者の殿堂入り

瀧正男氏の長男克己氏(前列右端)が通知式に参加【写真:細野能功】

中京商、中京大を強豪に育て上げた故・瀧正男氏

 野球殿堂博物館は15日、平成30年度の野球殿堂入り対象者4名を発表した。その中に故・瀧正男氏も特別表彰で名を連ねた。 

 瀧氏は1921年9月8日、愛知県生まれ。中京商業学校に入り、野球部で頭角を現す。ポジションは捕手。2歳上の野口二郎とバッテリーを組み、1937年夏、1938年春の甲子園に連続出場した。 

 1937年夏は、1回戦・竜山中戦(12-1)、2回戦・慶應商工戦(2-1、延長11回)、準々決勝・長野商戦(9-0)、準決勝・海草中戦(3-1)、決勝・熊本工戦(3-1)。熊本工の投手は川上哲治だった。ただしこの試合では瀧は控え捕手。1938年春は、2回戦・防府商戦(5-0)、準々決勝・海草中戦(4-0)、準決勝・海南中戦(2-0)、決勝・東邦商戦(1-0)と春夏連覇を達成。エース野口二郎は準々決勝のノーヒットノーランを含む4試合連続完封。野口はプロに進み、セネタース、阪急などで237勝を挙げ、打者としても830安打。1989年殿堂入りする。 

 瀧は、名古屋高等商業を経て出征、1947年に復員して母校中京商野球部監督となり、1951年春の選抜に出場。1953年には深谷弘次氏に監督の座を譲り部長となる。1953年春(1回戦)、夏(準決勝)、1954年春(1回戦)、夏(優勝)、1955年夏(準決勝)。戦前屈指の強豪だった中京商は、1940年春を最後に11年間、甲子園から遠ざかっていたが、瀧氏の監督、部長の時代にチームの立て直しが進み、復活した。 

甲子園勝利数、優勝数は最多

 中京商業は、現在は中京大中京高校と名称が変わっているが、甲子園の勝利数133(春55勝、夏78勝)、優勝11回(春4回、夏7回)は、いずれも史上最多だ。瀧氏は、名門中の名門、中京大中京の「中興の祖」というべき功績を残した。 

 1956年には新設された中京大学の初代野球部長に就任。新興の中京大野球部を日本屈指の強豪に育て上げた。2017年時点で、中京大学は愛知大学野球連盟の1部リーグで、愛知学院大の47回に続く、38回の優勝を遂げている。この名門野球部の礎を築いたのも瀧部長だった。 

 高校時代の教え子には中山俊丈(中日83勝90敗)、伊藤竜彦(中日・近鉄546安打33本塁打)、大学では木俣達彦(中日1876安打285本塁打)、栽弘義(豊見城高校、沖縄水産・監督)、竹本修(市立尼崎高監督)などがいる。 

 瀧氏は高校野球、大学野球の指導者としてだけではなく、部長、管理職として卓越した手腕を発揮した。2012年4月2日、90歳で没。瀧氏は2013年に特別表彰の候補者になっていた。存命中に殿堂入りがならなかったことが惜しまれるところだ。 

(Full-Count編集部)

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