金属行人(1月18日付)

 入社間もない十数年前のこと。ある商談の取材をし、通り一遍の話は聞いたものの、その結果の方向付けがいまひとつ消化不良のままだった。締め切り時間が迫る中で「こう書いておけば無難かな」という生煮えのような記事に仕上げ、お茶を濁そうとした記憶がある▼しかし弊紙は読者の方がプロであり、小細工でごまかせるものではない。取材先の一人である商談の当事者から、後でこっぴどくお叱りを頂いた。ただ怒りの内容は、その方にとって不利になる話だったからではない。「こんな記事を載せていたら、おたくの新聞、そして君が恥を書くよ」という温情あるものだった▼先日亡くなったプロ野球の名将・星野仙一氏の追悼記事を読んでいると、ふと当時が蘇る。熱血漢で鉄拳制裁でも知られた星野氏はそれだけ選手と真剣に向き合っていた。昨今の「平成流」で果たして本気で相手のことを思って指導できるかどうか▼私も今では新人時代のようなことはなくなったが、当時味わった「必死に調べなきゃいけないな」と肝を冷やした教訓は生き続けている。今ではなかなかお叱りを頂く機会もなくなった。自分の腕が上がったからでなく、気にかけられなくなっただけでないことを願いたい。

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