元長野MF井上寛太、ベトナムの首都ハノイでサッカースクール立ち上げ

平均引退年齢が26歳と言われるJリーガー。引退後のセカンドキャリアは避けて通れない道である。長くサッカーに携わりたい気持ちから指導者転身を希望する人も多いが、日本国内ではその数も頭打ち。そんな中、指導者として海外に活躍の場を求める人もいる。今回はベトナムで日系サッカースクールを立ち上げた井上寛太さんに話をうかがった。

サッカーとの出会いから欧州挑戦まで

-そもそもサッカーを始めたきっかけは?

井上「もともと父親がサッカー好きで、僕が3歳の頃にJリーグが始まって、ガンバ大阪の開幕戦に連れて行ってくれたんです。それがきっかけですかね。当時のガンバの中心選手だと礒貝選手とか。もう少し大きくなってからは、エムボマ選手のファンになりました。」

-井上さんはその後、京都サンガの下部組織、立命館大学、JAPANサッカーカレッジを経て、長野パルセイロでプロ契約しました。長野を退団後は、ヨーロッパでもプレーされましたが、海外移籍を決意したのはなぜですか?

井上「昔からヨーロッパでプレーしたい思いがありましたが、なかなか一歩が踏み出せませんでした。長野に在籍していた時も心にずっとその思いがあったので、長野を自主退団、ヨーロッパ挑戦を決意しました。」

波乱万丈の欧州サッカーライフ

-海外挑戦のときは、代理人を通じて行ったのでしょうか?それとも、自分でクラブに連絡をとってアプローチという感じですか?

井上「最初は、海外のコーディネーターの仲介でスロベニアまで行ったんですが、その人にだまされまして…いざ現地に着いてみると誰もいないという状態でした。放心状態でしたが、とにかくやれる事をやろうと思い、インターネットでチームを調べて、飛び込みで練習参加させてもらいました。近くのホステルで寝泊まりしつつ、5チームぐらいで練習参加して、なんとか1チームと契約できました。」

-その後、ドイツのクラブでもプレーされていますが、何か国ぐらいでトライアウトに参加しましたか?

井上「8か国ぐらいですかね。その中では、スロベニア、ドイツ、オーストリア、クロアチアのクラブと契約に至りました。代理人業の勉強も兼ねて、自分で色々な国にチャレンジしました。」

現役引退、26歳の決断

-ヨーロッパで数シーズンを過ごした後、26歳で現役引退していますが、引退を決めた理由を教えてくださいますか?

井上「向こうにいると痛感するのですが、下部リーグのアカデミーでも、10代後半ぐらいで、ものすごく上手くて、速い選手たちが山ほどいます。若いアフリカ人にも、とても優秀な選手たちがいて、彼らがどんどん下のカテゴリーから上がってくるんです。そういう状況を目の当たりにして、自分としては、これ以上のステップは難しいと感じました。あとは…純粋にスポーツビジネスに興味があったので、始めるなら早い方がいいと思って引退を決意しました。日本のクラブからの誘いもありましたし、J2やJ3で長くプレーするというのも考え方の一つとしてありますが、僕は上のレベルで出来ないなら、辞めるという考えでした。」

-その考え方の根底には、井上さんが年代別の日本代表(U-13、U-15、U-17)でプレーしてきたことが影響しているのでしょうか?

井上「うーん、それはあまり影響していないと思います。今、Jリーガーの平均引退年齢が25、26歳ぐらいで、僕の友達や先輩でも、セカンドキャリアを築くのにとても苦労していて…。そういうのを目の前で見る中、どうしたら長くサッカーを仕事にできるかというのを、僕は客観的に見てきたんです。」

新たな挑戦の地、ベトナムへ

-引退後、ほとんど間を置かずに”ルーヴェン・フットボールスクール・ベトナム”の立ち上げに向けて動き出しましたね。この間の経緯を聞かせてもらえますか。

井上「現役引退を決意したことをお世話になった人たちにSNSなどを通じて報告させてもらったとき、指導者だったり、現役続行だったりと色々なオファーをいただいて、その中にベトナムでのスクール立ち上げをやってくれないかというオファーがあったんです。セカンドキャリアという意味では、経営も自分でやりますし、色々な勉強にもなります。面白そうだと思って、挑戦することにしました。」

-2017年8月のスクール開校から約5ヶ月。現在のスクール生の数はどれぐらいですか?

井上「130人くらいですね。子供向けだと下は3歳から。大人向けのクラスもあるので、上は40歳の人もいて、国籍も様々です。アフタースクールとして、日本人幼稚園などでも活動中です。」

ところ変われば人の考え方も文化も変わる。ベトナムで感じるカルチャーギャップ

-子供たちを指導するうえで、モットーにしていることがあれば教えてください。

井上「子供の指導では、教えすぎないということに気を付けています。一から十まで全部教えるんじゃなくて、ヒントを与えて、子供たちが自ら考えて行動して答えを探しだせるよう、指導者が上手く導いてあげるのが大切だと思います。中高生の子たちで言うと、ベトナムでは、基礎をしっかり教わっていないので、もしかしたら、小さい子たちよりも教えるべきことが多いかもしれません。」

-ベトナムの子供たちと日本の子供たちとでは、指導するときに何か違いがありますか?

井上「日本の子供たちは、コーチの指示を素直に聞いて、すぐに実践できますが、言われたこと以外で、自分たちから動いて何かすることは苦手です。一方、ベトナムは、良くも悪くも、かなり自由な印象で、自分のやりたいようにやるという子供が多いです。そこをしっかり指導していくのが僕たちの仕事ですけど、縛りすぎても、個性がなくなるので、気を付けながら指導しています。」

-実際にベトナムで指導やスクール運営をしていくにあたって、これまでに困ったことは何ですか?

井上「山ほどあって言い切れないですが…うーん…悪天候のときですかね。雨が降ると、なかなか生徒が集まらなくて…。小雨ぐらいなら、問題なくサッカー出来ますし、日本なら大雨でもやるじゃないですか。でも、こちらでは少し降っただけでも親御さんが今日はやらせない、という感じなので、それも文化の違いなのかなと。」

前途有望なベトナムサッカー、課題は指導者の質

-ベトナムサッカー自体への印象はいかがでしょうか?近年は、J2クラブにベトナムの若手選手が移籍したり、U-20W杯にベトナムが初出場したり、と若い世代が活躍していますが。

井上「率直な印象としては、本当に将来が楽しみなサッカー国だと思っています。若い有望な選手も出てきていますし、下部組織にもいい選手がたくさんいます。ただ、ベトナムでは、指導者の質がそれに追いついていないので、選手のポテンシャルを生かし切れておらず、もったいないと感じています。」

-最後に今後の目標を教えてください。

井上「ルーヴェンの指導方法をベトナム全国に広めて、出来るだけ多くの子供に届けたいです。将来的には、現在のスクールの活動からアカデミー設立に繋げていって、ルーヴェン・フットボールスクール・ベトナムからプロサッカー選手を育てるのが目標です。」

井上寛太(いのうえ かんた)

生年月日 1991年4月12日

出身地 京都府

選手歴

・京都サンガF.Cユース

・立命館大学

・JAPANサッカーカレッジ

・AC長野パルセイロ

・NKドブロブチェ(スロベニア)

・SVエーベルスヴァルデ(ドイツ)

・NK アルミニ(スロベニア)

・FCリジェカ(クロアチア)

指導歴

・JAPANサッカーカレッジアカデミー(U-4~U-12)

・AC長野パルセイロ(U-4~U-11)

・NK ドブロブチェ(U12~U15) (スロベニア)

・SVエーベルスヴァルデ(U4~U8) (ドイツ)

・新潟県U-14,U-15選抜監督

・Lowen football school vietnam (ベトナム)

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