平昌パラ参加に北国内から疑問の声

過去には「抹殺」も計画

北朝鮮は、今年3月に韓国で開催される平昌パラリンピックへの参加を決めた。北朝鮮における障がい(碍)者の実態について注目が集まり、一部では状況が改善しているのでははないと見る向きもある。

一方、脱北者や北朝鮮国内の情報筋は、いずれも北朝鮮のプロパガンダ(体制宣伝)に過ぎないと口を揃える。

北朝鮮の江原道(カンウォンド)で朝鮮人民軍(北朝鮮軍)で勤務していたときに、事故で右手を失ったファン・ジエ(仮名)さんは、国からは栄誉軍人(傷痍軍人)の証書が届いただけで、配給すらもらえなかったと語った。

「市の労働党幹部を訪ねて『軽労働職場』(障害者が働く職場)の指導員になりたいと伝えたが、『不具は幹部事業の対象にならない』と断られた」(ファンさん)

不具とは、かつて日本や韓国でも使われていた障碍者を指す言葉だが、現在では差別用語とされている。一方の北朝鮮では比較的最近まで公式な用語として使われていたようだ。朝鮮障碍者支援協会は、1998年の創立から2003年に障碍者保護法ができるまで「朝鮮不具者支援協会」という名称を使っていた。そのため、この記事でもあえて「不具」という言葉を使用する。

90年代に暗転

平安南道(ピョンアンナムド)のデイリーNK内部情報筋は、市内の通りや市場では、松葉杖を持った栄誉軍人の姿を頻繁に見かけるとして、次のように語った。

「特類栄誉軍人は海外の援助団体からもらった三輪バイクに乗っているが、一般の栄誉軍人は市場で買った松葉杖や、咸興(ハムン)矯正器具工場で買った義足を使っている」

「先天性不具はもちろんのこと、工場で働いていて両足を失ったり、脊髄を損傷したりした一般労働者は、三輪バイクを市場で買うしかない。100ドルから200ドル(約1万1000円〜2万2000円)ほどするが、カネがなければ外出できず家に閉じこもるしかない」(情報筋)

北朝鮮では1980年代まで、栄誉軍人とその家族は、充分な配給と年金が支給されるなど手厚い福祉の対象となっていた。ところが、1990年代に起きた未曾有の食糧難「苦難の行軍」で配給システムが崩壊して以降、支援が受けられなくなり、自らの力で生き抜くことを強いられた。

軍隊での事故で片足を失った平壌在住のキムさんは、買ったうどんを転売して糊口をしのいでいる。

中には、半グレ集団となって、市場の利権をめぐり血で血を洗う抗争を繰り返す栄誉軍人もいる。

北朝鮮の障碍者保護法第44条は「地方政権機関と該当機関は、管轄地域の障碍者保護事業の実態を把握し、改善措置を行うこと」と定めている。しかし、現実は異なるようだ。

平安北道(ピョンアンブクト)商業局で勤務経験を持つ脱北者のキム・ウンヒョン(仮名)さんは「商業管理局、商業部は政策に従って対南(韓国)活動従事者の家族、5課対象(通称喜び組)、英雄など、定められた家庭に祝日のたびに肉、油、コメなどの特別配給を行っている。しかし、障碍者はこの地域住民優待物資リストには入っていない」と述べた。

また、前述の平安南道の内部情報筋は「工場の電気工事技術者は2010年、感電事故で片方の腕と目を失ったが、工場は彼を警備室に配置換えしただけだ」と述べた。工場からも行政からも一切の支援を受けられず、生活苦に喘ぐ彼は自分の身の上を嘆いていたという。

「1カ所に集めろ」

北朝鮮はかつて、障碍者を「排除すべき対象」と見なしていた。

複数の脱北者の証言によると、金日成主席は障碍者について「あのような『種』が広がるのは良くない。1カ所に集めろ」と耳を疑うような差別的な指示を下している。それに基づき、1960年代から障碍者の強制移住が始まったと言われている。

1990年代に朝鮮労働党中央(中央党)の青年事業部に勤めていた脱北者のイ・ヒョンウンさんは、その実態を次のように語る。

「根絶やし」ねらう

「中央党に実務能力の高い幹部がいたのだが、平壌から追放されることを恐れて、息子が障がいを抱えていることを数年間ひた隠しにしていた。ところが、息子がマンションの外に出て遊んでいたのを見られて、地方に追放された」(イさん)

北朝鮮当局は当初、障碍者の中でも特に小人症患者を嫌悪し、文字通り「根絶やし」にすべく「全員処刑」まで計画していたが、国際社会の批判を恐れて強制移住政策に変更したとされる。

平壌在住のデイリーNK内部情報筋によると、当局は知的障がいを持つ人を以前のように地方に追放することはなくなったという。市内には、数カ所の障碍者学校が作られたが、通っているのは幹部やトンジュ(金主、新興富裕層)の子どもだけで、一般庶民は排除されている。

北朝鮮は、2012年のロンドンパラリンピックに参加したが、国内にこのことを知る人は少ないという。

「障碍者文化センターのある平壌に住む人は(パラリンピック参加を知っても)驚かないが、地方の人は『障碍者が本当にオリンピックに出られるのか』と驚く」(情報筋)

情報筋は「地方の障碍者は障碍者文化センターという言葉すら知らず、捨てられた存在として生きている。パラリンピック選手に選ばれた人の親のポストは知らないが、結局はプロパガンダに過ぎない」と吐き捨てた。

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