【MLB】驚愕の強肩&悪球打ちで通算打率“イチロー超” 殿堂入りしたゲレーロの魅力

野球殿堂に選出されたブラディミール・ゲレーロ【写真:Getty Images】

桁外れの身体能力でメジャーを席巻、2001&02年は2年連続トリプルスリーを達成

 2018年度の全米野球記者協会の投票でMLB野球殿堂に選出されたブラディミール・ゲレーロ氏はドミニカ共和国出身の外野手。候補になって2年目に92.9%の高得票率(75%以上で殿堂入り)で選出された。

 1975年2月生まれで、イチローよりも1歳半年下。ドミニカ共和国出身。1993年にモントリオール・エクスポズと契約した。94年、95年とマイナーで3割を超える打率を残すと、1996年9月19日のアトランタ・ブレーブス戦でメジャーデビュー。「6番・右翼」で先発し、4回にはスティーブ・エイブリーからゴロで中前に抜ける初安打を放っている。

 翌97年には90試合に出場、11本塁打40打点、打率.302の好成績で、新人王投票6位に入る。98年には159試合出場で202安打38本塁打109打点、打率.324と大活躍。以後、リーグ屈指の強打者となった。当時のエクスポズは経営難に陥っていたこともあり、ゲレーロ以外にめぼしい選手がおらず敬遠が多かった。98年にはシーズン途中に実兄ウィルトン・ゲレーロ(内野手)がドジャースから移籍。ウィルトンは2000年オフにレッズへ移籍したが、翌年再びエクスポズにトレード加入。兄弟で都合3年をともに戦った。

 190センチ、106キロの巨漢選手だったが足も速く、2001、2002年と2年連続で30本塁打30盗塁の30-30を記録。2002年は39本塁打40盗塁、あと1本塁打でホセ・カンセコ、バリー・ボンズに次ぐ40-40を達成するところだった。日本的な評価でいえば、この2年間はともに打率3割を超えていたため、トリプルスリーを記録していた。

 バッティンググローブをはめずに素手でバットを握って、右打席に立った。悪球打ちでもあり、投手は気が抜けなかった。こうしたワイルドさがゲレーロの魅力だった。

 外野手としてはずば抜けた強肩の持ち主で、右翼から本塁へノーバウンドの送球で三塁走者を刺す補殺を何度も見せた。

2004年エンゼルス世界一に貢献、MVPを獲得

 2003年オフにFAになり、アナハイム・エンゼルスに移籍。以後も中心打者として活躍したが、同地区のシアトル・マリナーズとの試合では、イチローとゲレーロの「強肩右翼手」同士の対戦が見ものだった。2004年にエンゼルスはア・リーグ西地区で優勝。ゲレーロは206安打、39本塁打126打点15盗塁、打率.337をマークし、MVPに輝いた。

 ひざを痛め、2008年頃からDHでの出場が多くなる。それでも強打者ぶりは健在で、2005年から4年連続で最多敬遠を記録。リーグが代わっても相手投手に怖れられた。

 時期が重なるため日本人投手との対戦も多かったが、特に吉井理人を得意にしていて15打数7安打4本塁打、打率.467を記録している。野茂英雄とは17打数4安打0本塁打、打率.235、石井一久とは10打数2安打0本塁打、打率.200、松坂大輔とは14打数5安打0本塁打、打率.357だった。

 2009年オフにFAとなり、テキサス・レンジャーズへ移籍。この時期にはDHで打つだけの選手になっていたが、2010年には29本塁打115打点、打率.300を記録。ゲレーロと入れ替わりでエンゼルスに入団した松井秀喜が、同じ年に21本塁打84打点、打率.274に終わったことから、エンゼルスファンの間ではゲレーロ放出を問題視する声も上がった。

 2011年はオリオールズでプレー。2012年はシーズン途中の5月にブルージェイズとマイナー契約したが、6月に退団。その後は母国のウインターリーグに参加したり、独立リーグでプレー機会を探したが、2014年3月31日にエンゼルスと1日限定契約を結び、正式に引退した。

 メジャー通算成績は次の通りだ。

2147試合 8155打数2590安打449本塁打1496打点181盗塁 打率.318
MVP1回、最多安打1回、シルバースラッガー賞8回、オールスター選出9回

 獲得タイトルは少なかったが、通算打率はイチロー(現時点で.312)を上回っている。ドミニカ共和国出身選手では、安打数はともに現役のエイドリアン・ベルトレ(3048安打)、アルバート・プホルス(2968安打)に次ぐ歴代3位、本塁打数は歴代6位となっている。

 走攻守に素晴らしいパフォーマンスを見せただけに、当然の選出と言えるだろう。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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