2000安打は4人達成 杉下、星野、山本ら名投手の宝庫…中日の歴代投打5傑

最多セーブを記録している中日・岩瀬【写真:編集部】

立浪、高木、宇野ら名選手の中に現役・荒木もランクイン

 中日ドラゴンズは1936年、名古屋軍として発足。1948年に中日ドラゴンズとなった。巨人、阪神とともに親会社が創設時から変わっていない老舗球団で、今年で82年を迎える。歴史を飾った名選手を、投打の通算成績で見ていこう。※は現役

○通算安打数5傑
1立浪和義 2480安打(1988-2009年)
2高木守道 2274安打(1960-80年)
3谷沢健一 2062安打(1970-86年)
4荒木雅博 2023安打(1997年-)※
5木俣達彦 1876安打(1964-82年)

 2000本安打は4人。このうち3人が内野手だ。立浪は通算二塁打のNPB記録保有者で、高木守道は巨人V9時代の名二塁手。谷沢健一は首位打者2回のシャープな左打者で、張本勲との熾烈な首位打者争いで知られる。荒木は昨年2000本安打をクリア。木俣達彦は強打の捕手として鳴らした。

○通算本塁打数5傑
1宇野勝 334本(1977-92年)
2大島康徳 321本(1971-87年)
3木俣達彦 285本(1964-82年)
4谷沢健一 273本(1970-86年)
5江藤愼一 268本(1959-69年)

 宇野勝は強打の遊撃手で本塁打王に一度輝いた。大島は中日と日本ハムで24年の現役生活を送った息の長い選手で本塁打王1回。5位の江藤愼一は中日とロッテで首位打者を獲った。両リーグで首位打者になったのは、現役のソフトバンク内川聖一と江藤だけ。現役では平田良介の84本塁打が最多だ。

〇通算打点5傑
1立浪和義 1037点(1988-2009年)
2谷沢健一 969点(1970-86年)
3大島康徳 943点(1971-87年)
4宇野勝 923点(1977-92年)
5木俣達彦 872点(1964-82年)

 安打数、本塁打と名前が重なる。森野将彦が782打点で9位につけていたが昨年限りで引退。現役では荒木雅博の465点が最多だ。
  
○通算盗塁数5傑
1荒木雅博 378盗塁(1997年-)※
2高木守道 369盗塁(1960-80年)
3中暁生 347盗塁(1955-72年)
4原田督三 203盗塁(1948-58年)
5国枝利通 192盗塁(1948-54年)

 盗塁王を1度獲得した現役の荒木が最多。高木は盗塁王を3回獲得している。中は高木と同時代の外野手で守備範囲が広く、首位打者、盗塁王各1回ずつ受賞。打撃妨害出塁がNPB最多の21回を数え、曲者と呼ばれた。原田督三は屈指の守備範囲の広さで知られた外野手。国枝はプロ9年と活躍期間は短かったが、30盗塁以上を4回記録した俊敏な内野手だった。

投手では“最後の200勝投手”山本が杉下を抜いて最多勝

 投手成績を見てみよう。

○通算勝利数5傑
1山本昌 219勝(1986-2015年)
2杉下茂 211勝(1949-58年)
3星野仙一146勝(1969-82年)
4鈴木孝政 124勝(1973-89年)
5小松辰雄 122勝(1978-94年)

 史上最年長の50歳まで現役だった左腕・山本昌が、中日のレジェンド・杉下茂を抜いて1位。山本は現時点で最後の200勝投手だ。杉下は“魔球”フォークで川上哲治と好勝負を演じる。90歳を過ぎた現在もキャンプに顔を見せるなど健在だ。3位には杉下の背番号「20」を受け継いだ星野仙一が入ったが、急逝が惜しまれる。4位の鈴木は快速球で知られ、先発と救援で活躍。小松も背番号「20」で投げたエースだった。現役では吉見一起の83勝が最多だ。

〇通算奪三振5傑
1山本昌 2310個(1986-2015年)
2杉下茂 1708個(1949-58年)
3小松辰雄 1446個(1978-94年)
4郭源治 1415個(1981-96年)
5川上憲伸 1381個(1998-2008年、2012-15年)

 1~3位は勝利数と重なる。4位は王貞治に憧れて台湾で野球を始めた郭源治。中日で先発、救援で長く活躍した。川上は明治大学から入団し、中日のエースとして活躍。MLBでも投げた。現役最多は岩瀬仁紀の813個だ。

○通算セーブ数5傑
1岩瀬仁紀 404(1999年-)※
2郭源治 116(1981-96年)
3ギャラード 112(2000-03年)
4宣銅烈 98(1996-99年)
5鈴木孝政 96(1973-89年)

 岩瀬の404セーブはNPB最多で、歴代2位の高津臣吾とは118セーブも差があるアンタッチャブルな記録だ。3位のギャラードは4年目のシーズン途中で移籍したが、2回最多セーブに輝いた。宣銅烈はKBO(韓国プロ野球)史上最高の投手と言われた。鈴木はセーブ制導入期にセーブ王を2回獲得している。

殿堂には“明治人脈”の本流・天知、“フォークの神様”杉下ら

 最後に中日に選手、指導者として在籍し、殿堂入りした野球人を紹介したい。

○野球殿堂入り
1970年 天知俊一 指導者
1976年 中上(藤本)英雄 選手
1977年 水原茂 指導者
1977年 西沢道夫 選手・指導者
1985年 杉下茂 選手・指導者
1991年 牧野茂 選手・指導者
1992年 坪内道則 選手・指導者
1993年 稲尾和久 指導者
1994年 与那嶺要 選手・指導者
1999年 近藤貞雄 選手・指導者
2002年 山内一弘 指導者
2006年 高木守道 選手・指導者
2006年 山田久志 指導者
2010年 江藤慎一 選手
2011年 落合博満 選手・指導者
2017年 星野仙一 選手・指導者

 天知俊一は明治大出身で、六大学審判から中日監督を務めた。その後、杉下茂、星野仙一、川上憲伸と続く中日の明治大人脈を作った。水原茂は監督として中日を指揮。西沢道夫は草創期から戦後まで、投手、野手として活躍。与那嶺要は選手生活晩年に中日に移籍し、1974年には監督として巨人V10を阻止して優勝した。近藤貞雄は投手分業の創始者とされる。

 中日では山本昌、谷繁元信、現役の岩瀬仁紀など、今後、殿堂入りが確実視される野球人が多い。現役選手にも奮起が求められるところだ。

(Full-Count編集部)

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