【耐火物協会 創立70周年】〈伊倉信彦会長(黒崎播磨社長)に聞く〉紆余曲折の70年 原料調達ソース多様化が課題

 70周年を迎えた耐火物協会。耐火物業界の現状と今後の課題などを、耐火物協会会長の伊倉信彦会長(黒崎播磨社長)に聞いた。

――協会創立70周年をどのように受け止めていますか。

 「日本の耐火物の歴史は、150年以上前の近代製鉄の発祥、あるいは官営八幡製鉄所の生産開始まで遡ることができるが、戦後の協会発足も歴史の1ページといえる。当時は、鉄鋼やセメントへの安定供給が課題で、技術や原料調達、労働政策などで情報交換する場が必要だった。その意味で協会の発足は業界の健全な発展にとって大きな意味があったと考えている」

 「協会発足後の70年は紆余曲折の歴史でもあった。昭和30年代、40年代は高度経済成長の中で鉄鋼やセメントへの安定供給が課題となった。耐火物メーカーはこの間、増産に次ぐ増産に追われた。耐火物生産のピークは昭和45年で、生産量は370万トンに達した。その後はオイルショックを機に右肩下がりとなり、100万トン規模まで減少する。耐火物の品質向上によって耐久性が高まり、使用原単位が低下したことが大きい。また築炉工の人手不足を背景とした不定形耐火物の普及、鉄鋼メーカーにおける連続鋳造機の普及なども耐火物需要の減少につながった。需要の減少は耐火物業界にとって逆風ではあったが、一方では耐火物の品質向上、浸漬ノズルに代表される機能性耐火物の開発・実用化が進むといったプラスの側面もあった。こうした耐火物メーカーの長年にわたる努力が、鉄鋼業の発展を支えてきたいという自負もある」

――オイルショックだけでなく、バブル崩壊、最近ではリーマン・ショックなどもありました。

 「オイルショック以降、苦しい時代が続いたのは事実。円高不況の後には中国の台頭といった大きな変化もあった。その都度、耐火物メーカーの多くが経営的に厳しい局面を迎えた。中には廃業や企業統合に至ったケースもあった。ただ、日本に鉄鋼業がある限り、耐火物は必要な資材。しかも高級鋼の製造には高品質の耐火物が必ず必要になる。こうした思いで鉄鋼業とともに苦難の時代を乗り越えてきたと痛感している」

――足元の状況はいかがですか。

 「鉄の生産が好調なので、耐火物の需要も好調だ。耐火物メーカーは足元でフル稼働に入っている。ただ、原料の調達難が現在、深刻な課題となっている」

 「日本の耐火物メーカーは原料のほとんどを海外に頼っている。しかも中国への依存度が高い。その中国では環境規制の強化などを背景に耐火物原料の供給が減少。特にアルミナ系やマグネシア系原料を中心に調達難が深刻化している。同時に調達コストの上昇も顕著だ。顧客への安定供給を果たすには、調達を優先せざるを得ない状況で、経営面では非常に厳しい。まずはこうした現状を顧客にも共有してもらうことが必要だろう」

 「原料問題では、中国依存への反省もある。中国からの調達が進んだ背景には、価格の優位性などがあるが、現状はこうした優位性は低下している。中国からの原料調達にメリットはあるのか、を再考し、調達ソースの多様化などが進めることも重要だろう」

――耐火物業界が将来にわたり発展していくうえで、ほかに課題はありますか。

 「人材確保、人材育成が大きな課題。加盟会社の多くが現在、採用に苦しんでいる。3Kのイメージが強いことなどが影響していると思うが、業界としての発信が不十分な面もある。例えば、メーカー各社が独自の努力で作業環境の改善に取り組んでいることはあまり知られていない。また耐火物をつくるという仕事は、実は単純作業が少なく、創意工夫が求められる職場だ。こうした面白さを発信することも必要だろう。耐火物協会としても今後、より業界のPRに力を入れていきたい」

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