1Aから3Aまで這い上がった日本人野手、指導者として注目集める根鈴雄次
根鈴(ねれい)雄次氏は、1973年8月生まれ。イチロー世代の44歳。法政大学を経て2000年モントリオール・エクスポズとマイナー契約。マイナーのAクラスからスタートしAAAでもプレーした左打者だった。現在は、独自の野球理論で注目を集める指導者になっている。
根鈴氏に日米の野球観の違い、そして指導者としての考え方を聞いた。
「僕は小さいころから規格外に体がでかくて、大きいのを飛ばしていたから、少年野球のチームでは指導者から“勝手にやってろ”と放っておかれたんです。だから日本流の野球の指導をあまり受けていません。高校時代にアメリカに行ったこともあって、法政大学を出てから、再び渡米してトライアウトを受け、エクスポズに入った。そしてAAAまで上がった。アジア人で下から始めてAAAまで行ったのは僕が初めてです。
日本人野手も何人も挑戦しているけど、イチロー選手や松井秀喜選手などNPBから平行移動した選手は別にして、野手ではAAまで行った選手もいない。今、ニューヨーク・ヤンキース傘下にいる加藤豪将君がA+に進んでいますが、彼が一番上じゃないかな。
僕は左投左打でAAAで公式戦では5番を打ちました。オープン戦では、4番も打ちました。左投左打は一塁か外野手、DHしか守備位置がないから、そうならざるを得ない。AAAではホームランも2本打っている。1本は大家友和投手からでした。あとで聞いた話では、セプテンバーコールアップ(MLBで9月に25人のベンチ枠が40人に増え、若手に試合出場のチャンスを与えること)のリストに上がっていたんだそうです」
エクスポズ傘下のAAAオタワ・リンクスにステップアップした当時の根鈴氏のチームメイトには、ゴールドグラブ2回の名遊撃手オーランド・カブレラ、マリナーズでイチローともプレーしたミルトン・ブラッドリー、それにNPBでも活躍したフェルナンド・セギノールなどがいる。根鈴氏のチームメイトの大半の選手がMLBでプレーしている。
“先駆者”の願い「同じ野球をやるなら世界へ、メジャーへ」
「アメリカの野球のピラミッドでは、A+とAAの間にはすごい溝があるんです。AAには、そのままMLBに昇格してバリバリやりそうな若手がたくさんいます。A+からAAに上がれたら道は開けるんですが、僕以外には出ていない。その溝を越えることができないんですね。
法政の1学年下にG.G.佐藤君がいた。彼は僕がアメリカにわたって、AAAまで行ったのを見て“根鈴さんでできるなら、俺だって”と思ったんですね(笑)。彼は3年間マイナーでプレーしている。当時彼は、ウォーターも、コーラも通じないくらいの英語力でしたが、食らいついたら何とかなるんです。彼はフィリーズ傘下のA-までしか上がらなかったけど、メジャーに挑戦したことは無駄ではなかったんじゃないかな。
昔はG.G.佐藤君や僕だけでなく、日本からメジャーに挑戦する若者はたくさんいたんだけども、今はいなくなった。加藤豪将君もアメリカ育ちですし。甲子園、プロ野球もいいですが、同じ野球をやるなら世界へ、メジャーへ、という若者がもっと出てきてほしいんですけどね」
根鈴氏はアメリカの独立リーグ、メキシカン・リーグ、カナダの独立リーグ、オランダのプロ野球リーグなどでプレーをして日本に復帰した。
「2007年でした。日本にも独立リーグができたので、BCリーグの新潟で2年、四国アイランドリーグの長崎と徳島で4年プレーしました。最後はコーチになりました。もっと続けたかったんですが、この頃、母が認知症になりまして、介護をしなければならなくなった。遠くに行けなくなったので、帰って来たんです」
選手としてのキャリアは終わったが、野球に対する情熱は衰えず、日本国内の野球塾でコーチを務めた後、昨年6月に横浜市に「AttaBoy Baseball 根鈴道場」を開設した。
「AttaBoyは、“アラボーイ”と読みます。“ That’s a Boy!”の崩れた形です。いいね、いいね! という感じでしょうか。アメリカのスポーツ界でよく使う言葉です」
このネーミングに根鈴雄次氏が始めたユニークな野球指導にかける思いが凝縮されていると言っていいだろう。
(Full-Count編集部)