『テーラー伊三郎』川瀬七緒著 弱者が起こす革命に喝采

 少年と老人の物語だ。人と向き合うと反射的に緊張し、臆するあまり、自分の存在価値をどんどん下げてしまう少年。やりたいことと行きたい道がはっきりとありすぎるゆえに、周囲に対して警戒と攻撃の棘を尖らせてしまう老人。「周囲とうまくやれない」点において共通しているが、「自分の尊厳」に関しては正反対の二人だ。

 一見、気がいいように見えて、みんなが互いに監視の目を光らせているような田舎町。中世の西欧を舞台にした「女性向けの官能マンガ家」の母と二人で暮らす高校生の名は、「海色」と書いて「アクアマリン」と読む。駆け落ち同然で結婚した父と母が、浮かれた勢いでつけたのであろうキラキラネーム。彼は生涯、自分の名を名乗るたびに聞き返される宿命にある。

 ぱっとしない学校生活。家に帰れば母の仕事の手伝い。そんな彼の前に忽然と、小さな紳士服店「テーラー伊三郎」が現れる。そのショーウインドウに釘付けになる海色。女もののトルソーに着せられていたのは、目を奪うほど美しく仕立てられた「コール・バレネ(コルセット)」だった。母親の仕事柄、女性下着に詳しい少年は、その逸品に魅了される。そしてそれを作った、伊三郎なる老人と出会う。師匠と弟子みたいな二人の関係が始まる。

 二人の前には障害が立ちはだかる。伊三郎の息子やご近所連が「女物の下着など汚らわしい」の一点張りでゆずらない。まるで立ちはだかることが自分たちの使命であるみたいに。人の目こそが、人を縛る。本作に通底する方程式である。

 けれど二人には、同志が増えていく。初めての「モニター」を任ぜられたカメラ屋の老婆。人の心の境界線を、謎のズーズー弁で突き破ってくる少女・明日香。限りなく美しいコルセットで、この街に革命を起こさんとする伊三郎の志に、彼ら彼女らとの出会いが新たな展開を呼び起こす。変わっていく。海色も伊三郎も。彼らを取り巻く世界も。

 その変化たちが、なんだろう、いちいち愛おしい。下着にするのはもったいないからと、和服の上から帯代わりに「コール・バレネ」を着けてはにかむ老婆。その姿に、「テーラー伊三郎」のこれからのヴィジョンを確信する海色。

 彼らが起こそうとしている革命は一貫している。「売れるものを作る」ことと「作りたいものを作る」こと、二者択一を迫られてきた作り手たちに、第三の道を示すことだ。作り手に限らず、「これでは受け入れられないから」と、そんな理由で自分の尊厳を曲げ続けてきたすべての者たちに、その必要はないのだと体現することだ。

 理想とする作品を作り上げることにのみ心を注ぐ伊三郎に、海色と明日香が新しい発想で風を吹き込む。その風はやがて、さらなる仲間を連れてくる。作品は、作り手だけのものではない。本当に優れた品は、複数の人の手を介して、世に放たれる。

 そしてそのひとりひとりに、事情があり、信条があり、物語がある。それらがぶつかったりすれ違ったりして、この世界はできている。理解があり、決裂もある。エンディングは、その先に彼らが目にする風景。すべては、むしろ、そこから始まる。

(KADOKAWA 1500円+税)=小川志津子

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