震災の教訓胸に刻む 平塚で講演

 3月11日で7年となる東日本大震災の教訓を地域の備えに生かす「むすび塾」が3日、平塚市内で始まった。初日の防災講演会(同市主催、河北新報社、神奈川新聞社共催)では、大津波が押し寄せた宮城県で家族や親友、わが家を失った3人の語り部が今も消えぬ無念や後悔の思いを吐露。「命より大切なものなんてない」「とにかく生き延びて」と避難の大切さを訴えた。

 高校生、大学生の女子6人の語り部グループ「TTT」のメンバー、宮城県東松島市の大学1年添田あみさん(19)は震災時、小学6年生。いったん帰宅後に母と学校に避難し、駆け上がった校舎の上階で「木や車が渦を巻き、洗濯機のようになった校庭」を目撃した。

 延期された卒業式で親友の死を知らされた経験を涙ながらに振り返り、「最後に交わした言葉が『バイバイ』だった。『津波が来るから、絶対帰っちゃ駄目』って言えば、助かったかもしれない」。自責の念は今も強く「津波は来ないと勝手に決めつけないで」と強く訴えた。

 「震災語り部の会 ワッタリ」会長の菊池敏夫さん(68)が住む亘理町は人口約3万4千人。広さは平塚市とほぼ同じで「その半分が浸水した」という。

 巨大地震の約1時間後に襲来した津波で命を失う人が相次いだ背景を「津波は来ないという言い伝えがあり、津波をなめていた」と自身の反省も込めて指摘。「災害は想定外のもの。最悪を考えて準備を」と呼び掛けた。

 塩釜市の主婦高橋匡美さん(52)は、震災の3日後に訪ねた石巻市の実家で泥まみれになった母を、そして遺体安置所で父を見つけたショックから家にこもる日々を過ごした。壊滅したふるさとの壮絶な光景に、一緒に捜索した当時高校2年の長男は「これって、戦争の跡」とこぼしたという。

 「震災から6年11カ月になるが、私はまだ暗いトンネルの中。悲しみは一生癒えない」と打ち明け、会場の人々に「震災は特別なことじゃない。明日ここで起きるかもしれない。自分を大切に、今を生きて」と言葉を向けた。

 むすび塾は、東北のブロック紙・河北新報社(仙台市)が震災の反省を生かそうとスタート。4日には、津波のリスクが高い海沿いのなでしこ地区で避難訓練を行い、語り部や専門家と意見交換を行う。

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