【カリビアンS】災害に屈しない誇り高き選手たち―日本人トレーナーがプエルトリコで見た絆

プエルトリコのインディオス・デ・マヤグエスに所属していた有馬氏(左)【写真提供:有馬大智】

日本人の有馬大智トレーナーが見た現実、巨大ハリケーンの影響で日程は大幅縮小

 プエルトリコ代表としてカリビアンシリーズを戦っているクリオージョ・デ・カグアス。5日のベネズエラ戦勝利で準決勝進出を決めたが、昨年9月に全土を襲った巨大ハリケーンの影響で日程が大幅縮小されたリーグ戦はどのような環境で行われていたのだろうか。プエルトリコのインディオス・デ・マヤグエスに所属していた日本人の有馬大智トレーナーに話を聞いた。

 有馬トレーナーがプエルトリコ入りしたのは、昨年9月下旬に巨大ハリケーン「マリア」がプエルトリコ全土を襲ってから約3か月が経過した12月末。首都サンファンは電気、水道などのライフラインが復旧し、ほぼ元通りの生活に戻っていたが、マヤグエスの街は電力不足で、まだ停電が頻繁に起こるような状況だったという。

「当初は10月中旬からリーグが始まる予定だったんですが、ハリケーンが来た直後はプエルトリコは野球どころではなく、シーズンが開幕するかどうかも分からず、僕らも入国待ちの待機の状態がずっと続いていたんです。日程を短縮して、1月からリーグ戦を行うのが決まったのは12月になってから。試合がないため選手たちは実戦の場を求め、ドミニカ共和国のウインターリーグに行っていました。僕はサンファンからチームのGMの車でマヤグエスに移動したんですが、運転中もGMの携帯電話がひっきりなしに鳴る。ドミニカでプレーしていた選手たちの向こうでの契約を解除して、プエルトリコでプレーできるようにするための電話でした」

 リーグが開幕したのは1月上旬。当初は5チームが参加予定だったが、本拠地を確保できない1チームが出場を辞退。選手たちはほかのチームに分散し、4チームで開幕を迎えた。だが、電力不足で試合は基本的にデーゲーム。ナイターで行われたのは開幕戦などマヤグエスでのわずか3試合だけだったという。被災者への配慮で開幕戦は入場料が無料となり、スタンドも賑わったが、平日の昼間に行われた試合は連日、スタンドで閑古鳥が鳴いている状況。観客は200人ほどの日も多かったという。

劣悪な環境にも選手たちは誇りを持ってプレー

「(16年オフに松坂大輔がプレーした)ヒガンテス・デ・カロリナは本拠地が使えず、全試合ビジター。優勝したカグアスも本拠地が使えず、夏場にマイナーの2Aのチームが使っている隣町の収容1000人未満の小さな球場を使っていました。ただ環境は悪く、ロッカールームも何もない。控え室といってもテーブルも何もない小さな部屋があるだけ。チームにはメジャー経験のある選手たちもいましたが、彼らは床にタオルを引き、ここでやるか、と笑いながら荷物を広げていた。僕らトレーナーはお客さんも通る室内の通路で選手のマッサージをしていました。僕は昨オフはメキシコのウインターリーグのチームにいたのでプエルトリコは今年が初めてでしたが、やはり例年とは違ったようですね」

 そんな劣悪な環境の中でもチームを盛り上げていたのが、ベテランの選手たちだったという。試合数の減少で選手たちの給料も例年よりも少なくなったが、文句を言う選手は誰一人いなかった。チームには、かつて楽天、DeNAでプレーした40歳のランディ・ルイス内野手もおり、皆が誇りを持ってプレーをしていたという。

「長年やっている選手が、チームのために誇りを持って戦おうという話をしたんです。今年はリーグも短いけど、だからこそ1試合1試合が大事になる。毎日プレーオフのつもりでプレーしよう、と。ハリケーンのことを口に出す選手はそれほどいなかったけど、みんな心の中では、国のために頑張ろうと思ってやっていたと思います。

 試合日程や開始時間が前日に変わることも多く、時にダブルヘッダーになることもあったので、トレーナーとしても大変でした。治療に必要なキットを仕入れにいけなくなったことも何度もあり、時に知人を通じて外部の人から必要なものをもらっていました。本当に色んなことに対しての対応力がつきましたね。僕たちはプレーオフ準決勝で敗れ、カリビアンシリーズに出場することはできませんでしたが、拮抗した面白い試合が多く、すごく充実したあっと言う間の1か月でした。カグアスの選手たちにはぜひ優勝して、国を盛り上げてほしいですね」

 2年連続4度目のカリブチャンピオンの座を目指すカグアス。有馬トレーナーも、プエルトリコ代表としてメキシコの地で戦っている選手たちの活躍を、プエルトリコ国民同様、切に願っている。

(盆子原浩二 / Koji Bonkobara)

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