一点集中で人生が開ける話~何かに夢中になる事は恥ずかしい事なのか?やりたいことやって生きようぜ~/Mari Kitajima

目の前で人生の終わりを見た少年が、人生を考える話。

人は1度生まれて、1度死ぬ。

どうせ死ぬなら、やりたいことやって、がむしゃらに生きたい。

でも、がむしゃらに生きるのは、怖い?失敗するのが恥ずかしい?

何かに一生懸命になることをためらっている人には、ぜひ読んでほしい。

大阪府、岸和田市という祭魂が騒ぐ街で人気の焼き肉屋。お客さんがいっぱいいて、いつも賑やかな店。

酒にこだわりを持つ店主と、チャキチャキ動く女将。

それが俺の両親だ。

祭の血が騒ぐ街。

俺は2つ下の弟と共に、わんぱく街道まっしぐらだった。

両親は愛し合い、協力し合い、喧嘩することもなく傍から見れば完璧な家族だった。

物心ついたころから俺は、「強くなる」ということに憧れを持っていた。

ドラゴンボールというマンガが大流行していたのも影響したのだろう。

見た目はおじいちゃんなのに実はめちゃくちゃ強い亀仙人に鍛えられて強くなる、孫悟空が羨ましかった。

「誰か、俺を鍛えてくれへんかなぁ。」

そんな時、知り合いのおじさんが空手教室を始めたとかで、空手に誘われた。

「おもしろそうやな!習えるか、お父さんに聞いてみるわ!」

意気揚々と帰宅し、父に尋ねた。

「なあ。空手、習いたい!」

俺のやりたいということに反対などしたことのなかった父だったが、

「あかん。空手だけは、あかん。」

そう反対された。

「空手は暴力や。暴力は、あかん。人間は、言葉を使えるんや。」

空手をはじめとする格闘技だけは子どもにさせないという信条があったようだ。

父の好きなこと

父は俺たち兄弟に、知的な遊びを教えるのが好きだった。

例えば、百人一首。これを覚えて、父の前で全て言えると小遣いをくれた。

将棋や詩吟なんかも応援してくれた。

父が喜んでくれることは俺も嬉しかったし、そのうちに空手への興味も忘れていった。

父は読書が好きだった。俺は父の膝の上に乗って、父の読んでいる本を眺めるのが好きだった。

俺は父の近くにいるのが好きだった。

小学5年生になった夏休み。

家族で鳥取県に遊びに行った。鳥取には親戚がいる。

俺たちの住む大阪から鳥取までは車で3時間半ほどかかる。

しかし、父と喋りながらのドライブは楽しかった。

渋滞に巻き込まれたときは、前の車のナンバーを見る。2桁ずつ足していく。俺は必死に計算する。父と答え合わせ。

そんなことをしていると、あっという間に鳥取に着いた。

親戚の家に行で宴会。きっと、みんな幸せだった。

弱音を吐いたことのない父

鳥取からの帰り道。父が体の異変を訴えた。

「ちょっと腹の調子がおかしいわ。明日、病院へ行ってくる。」

そのまま父は入院した。

俺たちはいつも通りに小学校へ行った。母は焼き肉屋の切り盛りをしながら父の見舞いにも行き、忙しそうだった。

俺たち兄弟は、自宅マンションの隣に住むおばさんと一緒に晩ご飯を食べたり、そこの子どもと遊んだりしながら父の帰りを待った。

父の入院から1週間が経とうとしていた。

いつものように登校して、授業を受ける。給食を食べて、校庭で遊ぶ、そんなある日。

「北島君。弟と一緒に病院へ行こうか。」

担任の先生に連れられて、俺と弟はタクシーに乗せられた。

わけもわからず病院につく。

怖いぐらい静かな、父の病室。

母は泣いていた。

父が、亡くなった。

「冗談なら、早くやめてくれ」

泣きじゃくる母に、そう言いたかったが声が出ない。

泣いたらあかん。

子どもながらに、泣いてはいけない気がして俺は泣くのをこらえた。

父の葬式。

近しい親戚が集まり、皆泣いていた。

俺は母の隣に座り、参列してくれた人たちにお辞儀をしていた。

泣いたらあかん。

つらくないフリをしようと、強がった。

俺はずっとうつむいたまま、参列者が通り過ぎるのを待った。

誰かが俺の前で立ち止まった。

いとこの叔母さんが泣きながら、俺の前に立っていた。そして俺を抱きしめた。

「つらいなぁ・・・」

その時、泣くのを我慢しきれなくなって、大声で泣いた。

父が死んで、初めて泣いた。

葬式が終わり、日常に戻った。

父のいないリビング。父のいないソファ。

言葉を発しようとすれば、言葉の代わりに泣き崩れる母。

ちょっと前まで、一緒に飯食って、一緒に本読んでたやん。

ちょっと前まで、一緒に笑いあってたやん。

父の膝で眺めた難しい本、父の香り、優しい声。

夜になって、朝がきて、もしかして父が帰ってきてるかもしれないと父の寝室をのぞいて見ても、そこには何もなかった。ただ寂しさがこみ上げてくるだけだった。

学校へ行って、家に帰って、また夜が来る。泣いて、泣いて、朝になる。

小学生の俺にはとうてい受け止めきれない悲しみは、母親でさえも受け止められずに母は泣き明かして痩せていった。

泣いても、泣いても、勝手に太陽は昇って、1日が始まっていく。

そして勝手に夜になって、また次の日になる。

父が死んだ日から、俺たちだけが取り残されたみたいだった。

俺たちの悲しみや寂しさは誰にもわかってもらえないみたいだった。

「なんで、俺のところなんや。」

「なんで、お父さんがいなくなるのが俺のところなんや。お父さん嫌いや言うてたあいつの家じゃなくて、なんで俺の家なんや。」

いきなり父が死んでしまって、小学5年の俺と3年の弟と、どうやって生きていけばいいのだろう。

漠然とした不安に押しつぶされそうだった。

父は、死んでしまった。

大盛況だった焼き肉屋は母一人で切り盛りできるはずもなく、ふらっと店を見に行くとお客さんがゼロだった日もあった。

「俺んち、どうなるんやろ・・」

店が繁盛しなくなるのは、さすがにヤバいのではないかと小学生ながらに思っていた。

野菜1つを買うにしても、3軒のスーパーをはしごして一番安い野菜を買うように言われた。

ピンポーン

弟と二人で留守番をしていると、家のドアフォンが鳴った。

玄関まで出て行くと、そこにはちょっと前まで家族ぐるみでよく遊んだおばさんが来ていた。

「お母さんは?」

母は仕事で家にいなかった。

「どうしよかなぁ。あんたとこの借金、取り立てに来られて困ってんねん。」

「え・・」

「聞いてないん?おばちゃんな、お母さんの借金の保証人してんねん。でも、それもやめたいし、お金も返してほしいから、電話してって言うといて」

借金・・?

保証人・・?

小学生の子どもには、ハッキリとは理解しがたい言葉だった。

しかし、この家がド貧乏でヤバいことだけはハッキリと理解できた。

ある日の夕方、胸騒ぎ。

そんなある日、友達と遊んでから帰宅すると、母と弟の姿がない。

いつもなら、2人ともいるはずの時間なのに。

少し違和感を感じて、自転車で二人を探しに行った。

雑草が生い茂る、小さな踏切に母の姿が見えた。

弟の手を引いていた。見たこともない、光の消えた顔の母。

ハッとした。

「おかん!何してんねん!」

自転車を立ち漕ぎ、全速力で飛ばして叫んだ。

「おかん!!」

俺の声を聞いた母は、線路手前で立ち止まり、大声で泣いた。

弟と、駆け寄った俺を抱きしめて泣いた。

「ごめんなぁ・・ごめんな・・」

俺が不安に思ってた以上に、父のいない未来に不安を感じていた母。

家に男手がいないという不安。収入がないという不安。なんだかわからない不安。

母は、死んで父のところに行きたくなったみたいだが、やっぱりそれは間違ってる。

「なるようになる。」

それからは、これが俺たち家族の合言葉になった。

運命の再会

時は流れ、俺は高校生になった。

入学式が終わり、クラブ活動の紹介があった。

身長が高い俺は、柔道部に誘われた。

「君のようなやつは柔道をしたほうがいい!すぐスター選手になれるぞ」

柔道か・・自分の理想とは少し違うような気もしたが、誰かに必要とされていることが嬉しかった。

柔道部に入ろうかと思って体育館に入った時、ふと目に入った光景に俺は心奪われた。

「これや!俺がやりたかったのは、これや!」

一瞬、父の顔が浮かんだ。

「空手は暴力や。暴力は、あかん。」

でも、もう父はいない。

何より、空手部の練習風景に、心を掴まれていた。

小さかったころ、亀仙人に鍛えてもらいたかった願望が、ここなら叶う気がした。

高校生活は空手に没頭した3年間だった。

高校生にして身長が185cmもあった俺は、体格的にも恵まれていた。

大学に進学するときに、クラスのみんなは偏差値とか、知名度で大学を選んでいた。

しかし俺の志望校は、偏差値でも知名度でもない。

近くに空手道場がある事。

学費が安い、国立大学である事。

すべり止め受験はできないので、絶対合格する事。

この3つの譲れない条件にあてはまる大学に進学した。

夢を与え続けてくれた先生

大学生になって、俺は毎日道場に通った。

道場の先生は、体格に恵まれた俺に期待を寄せてくれていた。

しょっちゅう自宅に招いて食事を振る舞ってくれたし、何より俺に夢を語ってくれた。

「お前は、やれる。絶対にチャンピオンになれる人間や。」

空手を始めて3、4年ほどの俺に、チャンピオンになれると断言してくれた。

体格と腕力のおかげで、新人戦はぶっちぎりの優勝だった。

新人戦のあとには地方大会があり、それから全日本大会がある。

ぶっちぎり強いと言ってもまだ新人戦レベルの俺に、日本チャンピオンを目指せと言ってくれた。

「チャンピオンになれよ。この道場から世界チャンピオン生み出そうや!」

先生は、俺をチャンピオンにするため、道場にウエイト器具を置いてくれたり、大量の飯を食わせてくれた。

外部から全日本クラスの選手を呼んで稽古をつけてくれたこともあった。

俺が強くなれるためには何でも協力してくれた。

先生と二人三脚で空手を極めていった俺は、新人戦や地方大会で優勝し、ちょっとした有力選手になっていった。

迎えた初めての全日本大会。

「俺は皆なぎ倒して、チャンピオンになるで!」

意気揚々と出場した。

一回戦負けだった。

地方大会と全日本大会の壁は分厚かった。出場選手のレベルが違う。圧倒的なレベルの差に、愕然とした。

「それでも俺はチャンピオンになる」

人生でここまで、腹の底から燃える思いは初めてだった。

父が死んでから目の前の景色に色が無くなったような人生だった。

空手に没頭し、日常が輝きを取り戻していた。

一回戦負けという現状を突き付けられたあと、すぐに次の全日本大会でチャンピオンになるための猛特訓が始まった。

来年の全日本大会は、世界大会の予選でもある。ここで決勝まで勝ち残れば、世界大会への出場権が得られる。

「来年の全日本で優勝して、世界チャンピオンになる。」

まだ1回戦負けの実績しかない俺だったが、絶対に世界チャンピオンになると心に決めた。

俺には空手しかない気がしていた。

父が死んで、楽しかった毎日が一変した。

母は死のうとするし、弟は家出するし。(この話は割愛する)

父が死んだ日からずっと、楽しいとか、面白いとかそんな気持ちになれなかった。

でも、空手に出会って、心の底からワクワクした。

世界チャンピオンになることで、今までの何かが報われるような気がしていた。

ずっとつらかった。

ずっとさみしかった。

ずっと貧乏だった。

何もない俺は、何かになりたかった。

人並み以下の人生を逆転するには、世界チャンピオンになるしかない気がした。

人生を狂わせた道場忘年会

年末、空手道場で忘年会があった。先生の奥さんお手製のおでんが振る舞われ、酒も大量に用意されている。

しかし俺は、先生の空手道に少しだけ疑念を持ち始めていた。

強い空手って何なのか。先生はチャンピオンになったことがあるのか。

忘年会で酒を飲みすぎたというのもあり、俺は先生に突っかかった。

俺は強い。この道場からチャンピオンになる人間だ。

心のどこかに、俺ならば何をしても許されるという傲慢にも似た気持ちがあった。

先生に少しぐらい偉そうな物言いをしても、許されるだろうと思った。

「お前は、破門や。出て行け」

いつものように、笑って許されると思った。

チャンピオンになるはずの俺が、空手の道を閉ざされた。

自分のおごり高ぶった態度で、俺は自分の夢を叶える場所を無くしてしまった。

すぐに謝れば良かったが、それができずに泣きながら道場を飛び出した。

身長185cmの大男が、大晦日の夜に泣きながら走った。

嗚咽を漏らしながら家に帰ると、母が起きて待っていた。

「道場、破門になった」

ちゃんと説明しようとしても、泣けてきてこれ以上は喋れなかった。

母は黙っていた。

空手に人生をささげようと思ったけど、練習する道場もないし、どうしようかな。そんなことを考えていたある日。

突然電話がなった。

空手界の重鎮からだった。

「俺のところで空手やれよ。」

どうやら、先生のところを破門になったという噂を聞いて、俺をスカウトしてくれたようだ。

新人戦や地方大会でのあばれっぷりに一目置いてくれていたのだ。

移籍先の道場は、自宅から少し離れた場所にあった。

「交通費、いるやろ。出したるからな。月謝も、いらんわ」

空手界の重鎮は、何もない俺に無償の愛を与えてくれた。

重鎮の空手道場には、全日本クラスの選手が数人いた。

移籍後、初めての練習会で、俺は衝撃を受けた。

組手稽古で、たまたまペアになったのが身長163cmの小さな男性だった。

「なんや、小さいな。俺の膝蹴りで・・」

と相手をさげすんだ瞬間、俺は悶絶する痛みと共に床に倒れた。

身長185cmの大男が、163cmの小柄な選手にパンチでノックアウトされたのだ。

大きければ勝つ。

腕力が強ければ、倒せる。

そんな今までの俺の常識を覆した出来事だった。

その男性は全日本覇者の先輩だが、空手に対してまだ未熟だった俺は、

大きいほうが有利だと思い込んでいたのである。

今まで味わったことのない痛みと屈辱。20センチ以上も身長差がある相手に悶絶K.O.されたのだ。

この時初めて、全日本クラスで戦うには技術が必要だと気づいた。

腕力で勝ち上がれるのは、新人戦レベルまで。

全日本クラスでは、技術が必要なのだ。

腕力で勝つことは、身を切らせて骨を断つこと。

技術で勝つことは、身を切らせずに骨を断つことに等しかった。

それから俺は、技術を身に付けていった。

先輩たちに何度も倒されながら。

全日本大会。世界大会選抜の日

この日は、朝からいつもと調子が違った。なぜなのかは、わからない。

いつもなら「今から地震が来て、体育館がつぶれたらいいのに」とか「体育館が爆発して試合がなくなればいいのに」なんて、意味不明なことを考えていた。

勝ちたいのに、負けるのが怖い。

勝ちたいたいからには、試合に出ないといけない。試合から逃げることは、自分が許さない。

でも逃げたい。それが本音だった。

しかし、この日は朝起きた瞬間から何かが違った。

心が無だった。

これまで試合のたびに感じていた緊張や、恐怖や、プライド、それらすべてのものを感じない心だった。

リビングに下りると、いつものように母がいた。

「俺、絶対優勝するから。試合、見に来いや。」

初めて母にそう言った。

今まで1度も、母に空手の試合に来いと言ったことがなかった。

父が死んで、泣き崩れた母。

悲しみから、死んだ父のところへ行こうとした母。

母を親として重んじたい気持ちはあるが、母の弱さが自分の弱さに通じるような気がして、勝敗を分ける空手の試合には呼びたくなかった。

母の弱さに自分が引っ張られる気がして。

死ぬほど稽古して、死ぬほど倒されて、それでも這い上がってきた。

死ぬとか生きるとか、わからなくなるほど倒された。

俺は生きたのだ。

倒されて、それを糧にして強くなっていくことが、俺の生きているという証だった。

心が無のまま、会場に向かう。

新人レベルの頃から俺を育ててくれた先生も、会場にいた。

しかし、俺が不義理な発言をしたせいで、先生との間には不穏な空気しかなかった。

去年のこの日なら

「おう、がんばれよ。頂点とってこいよ」

と背中を叩いてくれた大きな手。

今年は背中が寂しかった。

心は無のまま、試合に挑んだ。

1回戦、タイミングが合いK.Oした。

2回戦、タイミングが合いK.O.した。

3回戦、強豪選手との対戦。某雑誌では、ここで負けるかもなと予想されたがタイミングが合いK.O.した。

そして迎えた決勝戦。相手は「最強の侵略者」と呼ばれる偉大な先輩だ。この試合に向けて何度も稽古をつけてもらった。稽古のたびにボディパンチで倒された。

普通なら、俺は先輩に倒される。

試合開始。先輩が優勢だった。突かれた腹が痛い。蹴られた足が痛い。あと1発蹴られたら、もう倒れてしまう。

その時、神のひと声があった。

なぜだかわからないが、膝がスッと持ち上がった。まるで神様が俺の膝を引き上げたかのように。

その膝が、対戦相手である先輩のアゴに直撃した。

ドスン

今まで叶わなかった最強の先輩が、俺の膝蹴りを食らって倒れた。

全日本チャンピオンが世代交代した瞬間だった。

俺は優勝し、全日本チャンピオンになった。

そして、4年後に行われる世界大会の選抜選手になった。

4年後、世界大会優勝。

俺が世界チャンピオンになれた理由は、ただ1つ。

心の底から惹かれた空手を、無我夢中に追いかけたからだ。

空手に出会った瞬間、俺の魂が求めていたのはこれだと確信した。自分が探してたものを見つけた俺は、その道を突き進んだ。

人生は数奇なものだ。

生前、父が唯一反対した空手。

子どもには絶対にさせないと決めていた空手。

それが俺の生きる希望となっていたのだ。

人生で、心の底から溢れる情熱を感じたら、それを追求してほしい。

誰かに止められても、誰かに反対されても、自分の心が求めているものに出会ったなら、それを追いかけるべきだ。

そこに生きる光があるから。

父の死から学んだこと。

人は必ず1回生まれて、必ず1回死ぬ。

どうせ死ぬなら、やりたいことをひたむきにやればいい。

あなたが心から情熱を感じることはなんですか?

著者:Mari Kitajima (from STORYS.JP)

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